森鷗外「高瀬舟」には、アナタの人生に必要なことが描かれているのかも知れない。
- 日本文学
掲載日: 2022年07月20日
「高瀬舟」は、1916年(大正5年)に文芸雑誌「中央公論」に掲載された作品。
江戸時代の随筆集「翁草」にある「流人の話」をもとにして書かれた短編小説です。
島流し先の遠島に向かう船に、罪人を送り届ける小船が「高瀬舟」。
護送役の船頭と遠島を申し渡され高瀬舟に乗る罪人の喜助との交流を描いています。
「高瀬舟」を書くに至った経緯とは。
森鴎外がどうしてこのような物語を書くことになったのか。
それは、森鴎外自身が「高瀬舟縁起」というエッセイで解説しています。
まずは、「流人の話」のあらすじが書かれています。
徳川時代には京都の罪人が遠島を言い渡されると、高瀬舟で大阪へ回されたそうである。それを護送してゆく京都町奉行付の同心が悲しい話ばかり聞かせられる。あるときこの舟に載せられた兄弟殺しの科を犯した男が、少しも悲しがっていなかった。その子細を尋ねると、これまで食を得ることに困っていたのに、遠島を言い渡された時、銅銭二百文をもらったが、銭を使わずに持っているのは始めだと答えた。また人殺しの科はどうして犯したかと問えば、兄弟は西陣に雇われて、空引きということをしていたが、給料が少なくて暮らしが立ちかねた、そのうち同胞が自殺をはかったが、死に切れなかった、そこで同胞が所詮助からぬから殺してくれと頼むので殺してやったと言った。
森鴎外「高瀬舟縁起」(青空文庫)
「流人の話」を呼んだ鴎外は、二つの問題提起を感じたのです。
一つ目の問題提起。
私はこれを読んで、その中に二つの大きい問題が含まれていると思った。一つは財産というものの観念である。銭を待ったことのない人の銭を持った喜びは、銭の多少には関せない。人の欲には限りがないから、銭を持ってみると、いくらあればよいという限界は見いだされないのである。二百文を財産として喜んだのがおもしろい。
森鴎外「高瀬舟縁起」(青空文庫)
これまでの罪人と違い、嘉助は悲しがるどころかいかにも楽しそうな様子なのです。
それを訝しむ船頭、庄兵衞。
こらへ切れなくなつて呼び掛ける庄兵衞。
「喜助。お前何を思つてゐるのか」
なる程島へ往くといふことは、外の人には悲しい事でございませう。其心持はわたくしにも思ひ遣つて見ることが出來ます。しかしそれは世間で樂をしてゐた人だからでございます。京都は結構な土地ではございますが、その結構な土地で、これまでわたくしのいたして參つたやうな苦みは、どこへ參つてもなからうと存じます。お上のお慈悲で、命を助けて島へ遣つて下さいます。島はよしやつらい所でも、鬼の栖む所ではございますまい。わたくしはこれまで、どこと云つて自分のゐて好い所と云ふものがございませんでした。こん度お上で島にゐろと仰やつて下さいます。そのゐろと仰やる所に落ち著いてゐることが出來ますのが、先づ何よりも難有い事でございます。
森鴎外「高瀬舟」(青空文庫)
さらに、喜助は続ける。
こん度島へお遣下さるに付きまして、二百文の鳥目を戴きました。それをここに持つてをります。
お恥かしい事を申し上げなくてはなりませぬが、わたくしは今日まで二百文と云ふお足を、かうして懷に入れて持つてゐたことはございませぬ。
爲事を尋ねて歩きまして、それが見附かり次第、骨を惜まずに働きました。そして貰つた錢は、いつも右から左へ人手に渡さなくてはなりませなんだ。それも現金で物が買つて食べられる時は、わたくしの工面の好い時で、大抵は借りたものを返して、又跡を借りたのでございます。
此二百文はわたくしが使はずに持つてゐることが出來ます。お足を自分の物にして持つてゐると云ふことは、わたくしに取つては、これが始でございます。森鴎外「高瀬舟」(青空文庫)
嘉助の答えを聞いた船頭は、氣が附きます。
人の欲望は留まることを知らない。
それを今目の前で踏み止まつて見せてくれるのが、この喜助だと。
それは、まさに「人生に必要なこと」。
二つ目の問題提起。
今一つは死にかかっていて死なれずに苦しんでいる人を、死なせてやるという事である。人を死なせてやれば、すなわち殺すということになる。(中略)
森鴎外「高瀬舟縁起」(青空文庫)
しかしこれはそう容易に杓子定木で決してしまわれる問題ではない。ここに病人があって死に瀕して苦しんでいる。それを救う手段は全くない。そばからその苦しむのを見ている人はどう思うであろうか。たとい教えのある人でも、どうせ死ななくてはならぬものなら、あの苦しみを長くさせておかずに、早く死なせてやりたいという情は必ず起こる。ここに麻酔薬を与えてよいか悪いかという疑いが生ずるのである。
軍医であった鴎外は、戦場で、苦しみながら死んでゆく若者を見てきたはずです。
それゆえの疑問なのではないでしょうか。
必死で働く喜助に、これ以上苦労を掛けたくないという想いで命を断とうとした弟。
首に刺さった剃刀を抜けば、苦しんでいる弟は死ぬ。
だが、手当てをすれば助けられるのではと思う喜助。
さて、喜助がどんな行動に出たかと言うと、
これは弟の言つた通にして遣らなくてはならないと思ひました。わたくしは『しかたがない、拔いて遣るぞ』と申しました。すると弟の目の色がからりと變つて、晴やかに、さも嬉しさうになりました。わたくしはなんでも一と思にしなくてはと思つて膝を撞くやうにして體を前へ乘り出しました。弟は衝いてゐた右の手を放して、今まで喉を押へてゐた手の肘を床に衝いて、横になりました。わたくしは剃刀の柄をしつかり握つて、ずつと引きました。
森鴎外「高瀬舟」(青空文庫)
弟を苦しみぬかせたまま死なせたとあっては、喜助はその後の人生をずっと積年の想いを背負って生きてゆくことになるでしょう。
が、「晴やかに、さも嬉しさう」な弟の顔を見たからこそ、喜助は「いかにも楽しそうな様子」になれたのでしょう。
「高瀬舟」が、読書会の課題図書に取り上げられて、いろいろな方と語り合ううちに、ふと思い出したことがありました。
遠島を申し渡され、向かう先の島には、極刑を言い渡された極悪人がたくさんいます。
そこには、番人もいることはいますが、治安を維持する善人とは限りません。
無法地帯の可能性もあるわけです。
そんなとこに流された人がどんな状況が待っているか。
それを踏まえて読むと、嘉助の浮かべる笑みが、とても悲しいものに見えてくるのです。
もっと詳細に知りたい方は、ぜひ青空文庫でお読みください(;^_^A
無料で読めます。
「時間と手間をかけて自分で読む」ということ。
これも「人生で必要なこと」なのです(;^_^A