フランツ・カフカ著「変身」を読み解くには、小難しいことを考えてはダメです。
- 海外文学
掲載日: 2020年09月18日
サラリーマンである主人公グレーゴルが、
ある朝、目覚めると虫になっていたという有名な作品。
第1次世界大戦直前の1915年に発表されました。
作品の内容が、とても奇妙で不可思議であるが故、
何かを暗喩的に訴えているのでは?と、詮索され、後々に色々な解釈がされています。
「うつ」を描いている・・・とか、
「引きこもり」を描いている・・・とか、
はたまた、実存主義を表現している・・・とか。
読書会の課題図書になっていたので、
今回読み返して、ボクには、そんな小難しい主張があるようには思えませんでした。
実は、カフカ自身も明言しているんです。
これは、「夢」であると。
そう思って読んでみると、まさにそうです。
虫になって動きがおかしくなっている様子が、だらだらと何ページにもわたって描かれていたり、
いつの間にか、3人の下宿人が出てきたり
投げつけられたリンゴが背中にめり込んだまま離れなかったり。
そもそも、
その虫が、グレーゴルであると、いつの間にか家族の周知の事実になって話が進んで言ったりと
つじつまが合わないことがいっぱいあるのです。
でも、「夢」ってそういうものです。
つまり、会社が嫌で嫌で仕方がないカフカが、
会社に行きたくないが故に描いた「悪夢」に過ぎないのではないでしょうか。
カフカ自身はこうも言っています。
これは失敗作だと。
十分な時間をかけられなかった作品であると。
もっともらしく、この作品を考察しても、所詮は「夢」にすぎないのです。
簡単なものを難しく言う人の言葉を信じてはいけません。
難しい言葉を並べ立ててアナタを煙に巻いてるだけかもしれないですよ(;^_^A
では、まず、その作品自体をちょっと見ていきましょう。
第1章 虫になるということ。
「グレーゴル・ザムザは、目覚めると巨大な虫になっていた。」
冒頭の有名な文章は、新潮文庫版では単に「虫」と訳されていますが
多和田葉子の訳では、
「生贄にできないほど穢れたもの」 と忠実に訳されています。
自分の存在をそこまで卑下することで
「もうボクのことにかまわないで放っておいてくれ!」 と
カフカが言ってるように思えてきます。
仕事や恋人との関係に翻弄され
もうすべてを投げ出してしまいたい気持ちが実によく感じられます。
————–
虫に変身してしまったけれど
グレーゴル・ザムザは悲しんでいるようには描かれていません。
狼狽はするが、その状況をすんなり受け入れている。
むしろ楽しんでいるかのようです。
あたかも、そうなりたかったのでは?と思ってしまいます。
————–
反して、
勤め先から様子を見に来た支配人の驚きようたるや・・・。
よほど、会社勤めが嫌だったことがうかがい知れます(;^_^A
第2章 家族との関係。
虫になったグレーゴルを目の当たりにして
母親が気を失ってしまいます。
それを見た父親の怒りがすさまじい。
グレーゴルに「リンゴ」を投げつけるのです。
で、ついに「リンゴが体にめり込んでしまう」
カフカと父親の関係性が何となくうかがえます・・・(;^_^A
第3章 家族の対応や如何に。
働き手であるグレーゴル・ザムザが「虫」になってしまうと家族は働き手を失ってしまう。
すると、家族の対応はどう変わって行くのか。
「変身」で描かれていることの一つは
自分が仕事をしなくなるとどうなるのか?
ということ。
生活のため仕事を辞められないカフカが懸念していることなのでしょう。
カフカの著作「審判」「変身」「城」と、連続して読み返してみると、
主人公がすべからく居場所を徐々に失っていくことがわかります。
カフカの置かれている立場と見事に一致しています。
・流浪の民であるユダヤ人であること
・生活のためにしたくもない役所勤めをしていること
・強権的な父親の存在。
カフカは、心の叫びを作品にしているのです。
そんなカフカの人生など、ちょっと語ってみました。(;^_^A
ご参考までにどうぞ↓