
坂口安吾『白痴』は、建前に隠されている人間のリアルな本音を容赦なく引きずり出して描いている。
- 日本文学
掲載日: 2025年10月12日
私たちは、心の奥底で想っている本音を、実際の生活の場では人前にさらけ出したりはしません。
そんなことをすると、人間関係が図らずもギクシャクしてしまうからです(;^_^A
では、どんな時に本音が見えてくるのか。
普段は見えてこない暗部にある本音を、明るい所に引きずり出すにはどうすればいいのでしょうか。
それはこの作品を読むとよく解ります。
『白痴』は、こんな小説です。
『白痴』は、1946年(昭和21年)に文芸雑誌『新潮』6月号に掲載された中編小説。
終戦後、すぐに発表された『堕落論』と並び称される、坂口安吾の代表作です。
『白痴』のあらすじ。
舞台は戦時下にある東京。蒲田の裏町にある猥雑な商店街に暮らす青年伊沢がこの物語の主人公です。
ある日のこと。彼の部屋に近所に住む白痴の女が入り込んできます。やがて迫りくる東京大空襲。ふたりの奇妙な交流を通して、伊沢の心に潜むリアルな心情を描いていきます。

『白痴』を読み解いていきましょう。
主人公、伊沢を取り巻く人間模様とは。
冒頭で描かれるのは、主人公が住む商店街界隈の様子。
猥雑な人々の様子が描かれています。
描かれている様を具体的に見ていきましょう。
住んでいる家はと言うと・・・。
その家には人間と豚と犬と鶏と家鴨が住んでいたが、まったく、住む建物も各々の食物も殆ど変っていやしない。物置のようなひん曲った建物があって、階下には主人夫婦、天井裏には母と娘が間借りしていて、この娘は相手の分らぬ子供を孕はらんでいる。
伊沢の借りている一室は母屋から分離した小屋で、ここは昔この家の肺病の息子がねていたそうだが、肺病の豚にも贅沢すぎる小屋ではない。それでも押入と便所と戸棚がついていた。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)その家の人間模様はと言うと・・・。
主人夫婦は仕立屋で町内のお針の先生などもやり(それ故肺病の息子を別の小屋へ入れたのだ)町会の役員などもやっている。間借りの娘は元来町会の事務員だったが、町会事務所に寝泊りしていて町会長と仕立屋を除いた他の役員の全部の者(十数人)と公平に関係を結んだそうで、そのうちの誰かの種を宿したわけだ。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)
近隣の様子はと言うと・・・。
この路地の出口に煙草屋があって、五十五という婆さんが白粉つけて住んでおり、七人目とか八人目とかの情夫を追いだして、その代りを中年の坊主にしようか矢張り中年の何屋だかにしようかと煩悶中の由であり、若い男が裏口から煙草を買いに行くと幾つか売ってくれる由で(但し闇値)先生(伊沢のこと)も裏口から行ってごらんなさいと仕立屋が言うのだが、あいにく伊沢は勤め先で特配があるので婆さんの世話にならずにすんでいた。
ところがその筋向いの米の配給所の裏手に小金を握った未亡人が住んでいて、兄(職工)と妹と二人の子供があるのだが、この真実の兄妹が夫婦の関係を結んでいる。けれども未亡人は結局その方が安上りだと黙認しているうちに、兄の方に女ができた。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)
何とも、おぞましい人間模様です。これを読む読者は、なんて下劣な状況だと眉をしかめているハズ。
そこへまともな男が一人。
それが主人公、伊沢です。
素行のおかしな人々の中にまともな男が一人、という構図が出来上がっています。
伊沢に降りかかる予期せぬ出来事。
そんなある日のこと。伊沢が夜遅く帰宅すると・・・。
あかりをつけると奇妙に万年床の姿が見えず、留守中誰かが掃除をしたということも、誰かが這入はいったことすらも例がないので訝いぶかりながら押入をあけると、積み重ねた蒲団ふとんの横に白痴の女がかくれていた。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)
まともだと思われていた男がどうもおかしなことになってくる。
ここから、伊沢と女の交流を通して伊沢の本音が白日の下に引きずり出されていきます。
例えば・・・。
この戦争はいったいどうなるのであろう。日本は負け米軍は本土に上陸して日本人の大半は死滅してしまうのかも知れない。それはもう一つの超自然の運命、いわば天命のようにしか思われなかった。彼には然しもっと卑小な問題があった。それは驚くほど卑小な問題で、しかも眼の先に差迫り、常にちらついて放れなかった。それは彼が会社から貰う二百円ほどの給料で、その給料をいつまで貰うことができるか、明日にもクビになり路頭に迷いはしないかという不安であった。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)
戦時中という非常事態において、いまなお、給料の二百円に行動が規制されてしまう人間の悲しさ。
たいそうな芸術論をぶち上げても、所詮はその精神も魂も二百円に限定されてしまうのです。
そんな状況ゆえ、戦争ですべてが破壊されてしまうことを臨む伊沢。
ああ戦争、この偉大なる破壊、奇妙奇天烈な公平さでみんな裁かれ日本中が石屑だらけの野原になり泥人形がバタバタ倒れ、それは虚無のなんという切ない巨大な愛情だろうか。破壊の神の腕の中で彼は眠りこけたくなり、そして彼は警報がなるとむしろ生き生きしてゲートルをまくのであった。生命の不安と遊ぶことだけが毎日の生きがいだった。警報が解除になるとガッカリして、絶望的な感情の喪失が又はじまるのであった。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)
これは、まさに、学校に行きたくない小学生が、怪獣が現れて学校を破壊したら行かなくて済むのに、という思考のそのままです。
破壊されるのは自分以外のもの。
自分も巻き込まれるかもしれないということは一切考えていない愚かしさがあります。
いよいよ、空襲が始まり辺りは火の海です。伊沢は近隣の人々に一緒に逃げようと言われます。
仕立屋はリヤカーに一山の荷物をつみこんでおり、先生、いっしょに引上げましょう。伊沢はそのとき、騒々しいほど複雑な恐怖感に襲われた。彼の身体は仕立屋と一緒に滑りかけているのであったが、身体の動きをふりきるような一つの心の抵抗で滑りを止めると、心の中の一角から張りさけるような悲鳴の声が同時に起ったような気がした。この一瞬の遅延の為に焼けて死ぬ、彼は殆ど恐怖のために放心したが、再びともかく自然によろめきだすような身体の滑りをこらえていた。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)

ところが、なぜか伊沢は行きたがらない。
「僕はね、ともかく、もうちょっと、残りますよ。僕はね、仕事があるのだ。僕はね、ともかく芸人だから、命のとことんの所で自分の姿を見凝みつめ得るような機会には、そのとことんの所で最後の取引をしてみることを要求されているのだ。僕は逃げたいが、逃げられないのだ。この機会を逃がすわけに行かないのだ。もうあなた方は逃げて下さい。早く、早く、一瞬間が全てを手遅れにしてしまう」
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)
なぜ、伊沢は一緒に逃げないのか。せかすその理由が何とも情けないことなのです。
彼がこの場所を逃げだすためには、あたりの人々がみんな立去った後でなければならないのだ。さもなければ、白痴の姿を見られてしまう。
坂口安吾『白痴』(青空文庫より)

冒頭で、読者には一番まともだと思われていた伊沢が、どうもおかしなことになってくる。
一番卑小な存在なのは伊沢なのです。
ここから先も、伊沢の、というか人間の本音が、次々と抉り出されていきます。
坂口安吾は、人間の本質的なことを描こうとしているのです。建前の姿の下にある本音そのものを。