太宰治「魚服記」は、一文たりとも疎かに読み飛ばせない小説です。
- 日本文学
掲載日: 2022年10月29日
「魚服記」は、1933(昭和8)年に、雑誌「海豹」3月号に掲載された短編小説。
大学を中退した太宰治が、弱冠24歳にして小説家を目指して執筆活動を始めた当初の作品です。
最初の短編集「晩年」に収められています。
作家として書き始めたころの作品とは全く思えない完成度の高さに仰天してしまいます。
人里離れた山間の炭焼き小屋に暮らす女児スワ。
父親との二人暮らしです。
閉鎖的な暮らしと、スワの成長を描いています。
ただし、漫然と読んでいたのでは何を描いているかがわかりません。
つまり、スワが成長していく様を、セリフや振る舞いのみで描いているのです。
たとえば、
「めずらしくきょうは髪をゆってみた」という描写だけで、
子供ではなく女としての自我が目覚めた様子を読者に知らしめています。
従って、一文たりとも疎かに読み飛ばせないのです(;^_^A
さらに、太宰は、技巧を凝らしています。
冒頭で語られる「滝で死んだ学生」のエピソード。
スワが、滝に落ちてなくなる学生をまじかで見てしまうというくだり。
これがいったいどんな意味があるのかは、この時点ではわかりません。
そして、父親がスワに語って聞かせる民話のこと。
きこりの八郎が魚を食べているうちに大蛇になってしまうという物語です。
このエピソードがいったい何を意味しているのか。
女として、成長していくスワの行く末を読むと
この二つのエピソードが伏線のように当てはまっていくことになるのです。
もう超絶技巧とはこのことです。
「魚服記」というタイトルも、意味が深いです。
「服」の意味は、「洋服」の例も挙げるまでもなく「身に着けるもの」です。
そして、「服従」から解るように「従う」という意味もあります。
従って、「服」は、体や心に受け入れていく、という大きな意味を持っています。
「魚服記」・・・魚を受け入れていく物語、といったところでしょうか。
これを踏まえて、読み進めると、最後にタイトルの意味するところが見えてくるかと思います。
太宰治は「漁服記に就いて」という、短文を残しています。
「魚服記といふのは支那の古い書物にをさめられてゐる短かい物語の題ださうです。それを日本の上田秋成が飜譯して、題も夢應の鯉魚と改め、雨月物語卷の二に收録しました。
私はせつない生活をしてゐた期間にこの雨月物語をよみました。夢應の鯉魚は、三井寺の興義といふ鯉の畫のうまい僧の、ひととせ大病にかかつて、その魂魄が金色の鯉となつて琵琶湖を心ゆくまで逍遙した、といふ話なのですが、私は之をよんで、魚になりたいと思ひました。魚になつて日頃私を辱しめ虐げてゐる人たちを笑つてやらうと考へました。
私のこの企ては、どうやら失敗したやうであります。笑つてやらう、などといふのが、そもそもよくない料簡だつたのかも知れません。」
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