樋口一葉「わかれ道」は、言文一致の一つの方法を実現した作品です。
- 日本文学
掲載日: 2023年03月02日
「わかれ道」は、明治29年に文芸誌「国民之友」に掲載された短編小説。
仕立ての仕事で生計を立てる下町の娘、お京と、姉のように慕う傘職人の吉三の悲恋を描いた物語です。
「わかれ道」は、こんな小説です。
読んでいくと、わかるのですが、
全編ほぼセリフだけで構成された、とてもユニークな作品です。
そのセリフが江戸っ子弁で、とてもいい。
しかも、明治の頃の本物の江戸言葉です。
この作品は、「上」「中」「下」の三部構成になっています。
「上」では、お京と吉三の仲睦まじい関係を描き、「中」では、吉三の生い立ちを描き、
最後の「下」では、悲しい「わかれ道」を描いています。
涙なくしては読めない作品です。
上-お京と吉三の仲睦まじい関係
「お京さん居ますかと窓の戸の外に來て、こと/\と羽目を叩く音のする」
「誰れだえ、もう寐て仕舞つたから明日來てお呉れ」と嘘を言へば、
「寐たつて宜いやね、起きて明けてお呉んなさい、傘屋の吉だよ、おれだよ」と少し高く言へば、
「嫌な子だね此樣な遲くに何を言ひに來たか、又お餅のおねだりか」、と笑つて、
「今あけるよ、しばらく辛棒おし」と言ひながら、仕立かけの縫物に針どめして立つは年頃二十餘りの意氣な女。
冒頭の二人のやり取りだけで、お京と吉三の気の置けない間柄が見てとれるようになっています。
お京は、針仕事で忙しいけれども、吉三を無下に返せないようです。
「お氣の毒さま」と言ひながら入ってきたのは、一寸法師と仇名のある町内の暴れ者、傘屋の吉。
年は十六なれども背が低いので、十一、二にしか見えないようです。
「御免なさい」と火鉢の傍へ座り込みます。
吉三は、冗談めかして言います。
「お前さん何時か言つたね、運が向く時に成ると己れに糸織の着物をこしらへて呉れるつて、本當にこしらへて呉れるかえ。
まあ其樣な約束でもして喜ばして置いてお呉れ、此樣な野郎が糸織ぞろへを冠つた處がをかしくも無いけれども」と淋しさうな笑顏。
お京は言います。
「そんなら吉ちやんお前が出世の時は私にもしてお呉れか、其約束も極めて置きたいね」
このような微笑ましいやり取りが続きます。
中-吉三の生い立ち
この説は、セリフではなくなるので、文語体です。
とたんに読みづらくなります(;^_^A
角兵衞獅子の吉三を拾ってきた傘屋のおばあさんが一人前に育てていたが、
そのおばあさんもなくなり、主人が代替わりして、暮らしにくくなった吉三のことが描かれています。そんな折にお京に出会い、心のよりどころにしているようなのです。
下-悲しい「わかれ道」
この節は、涙なしでは読めません。ぜひ、原文で読んでみてください。
「言文一致」のこと。
この作品が書かれた明治期は、日本の近代化が進む世の中。
そのお手本として、西洋の文化が日本に持ち込まれている時代です。
明治の頃、文学の世界では、小説などの文章は、話し言葉とは違う「文語体」使われています。
西洋のものを良しとする風潮にのっとり、日本語で書かれた文章を英語のように主語を入れたり、文章も話し言葉と同じにするという「言文一致」が行われようとしていた時代です。
「わかれ道」は、ほぼセリフだけで構成されています。
文章を話し言葉にするよりも、「話し言葉」を使って作品を創れば、それこそ即、言文一致になるわけです。
ある意味、言文一致の一つの方法を体現した作品でもあります。
それゆえ、現代の私たちでもスラスラと読めるのです。