JDサリンジャー「テディ」は、強いアメリカ、帝国主義のアメリカからの決別を描いているのだと思う。
- 海外文学
掲載日: 2024年03月17日
「テディ」は、1953年、サリンジャーが34歳の時、文芸雑誌「ザ・ニューヨーカー」1月号に掲載された短編小説。「ナインストーリーズ」の最後に掲載されている作品です。
舞台は、ヨーロッパからニューヨークへ向かう豪華客船。
家族で乗船している10歳の少年テディが、この作品の主人公です。
冒頭では、船室での家族の様子からテディと両親の関係が描かれます。
その後、家族のいる船室から出て、テディは甲板に向かいます。
デッキチェアで日記を書いているところへ、知り合いの青年ボブがやってきて、ここから二人の問答が始まります。
悟りを開いたかのような会話をする10歳の少年テディ。
それが何を意味するのか、読み解いていきましょう。
「テディ」を解説します。
サリンジャーは、自らの作品の解説をしていません。
それどころか、出版物には解説を書くことを固く禁じています。
サリンジャー自身のバイオグラフィーさえも書くことを許していません。
ですので、サリンジャーがこの作品で何を描きたかったのかは誰も知りえません。
作品を読んだ人が「何を感じたか」が総てです。
「解説します」と銘打ちましたが、単なる私の所感にすぎませんのであしからず(;^_^A
では、「なぜ解説を書くことを許さなかったのか」その理由が「テディ」には書かれています。
「テディ」を読み始める前の予備知識。
アメリカ人ならば、多くの人が知っているアメリカの文化的背景。
それを日本で育った私たちは知らないことも多いです。
まずは、「テディ」を読み解くための一助となるであろう予備知識を整理しておきましょう。
アメリカの若者が突き動かされているもの。
1800年末にはアメリカ大陸内での開拓時代は終わり、アメリカは海外への領土拡大へと舵を切ることになります。
南北戦争にも従軍したマッキンリー大統領は、拡大路線を行い、プエルトリコ、フィリピン、グアム、ハワイをアメリカ合衆国に併合。
続くセオドア・ルーズベルト大統領も領土拡大を続けます。
彼の持つ強力なリーダーシップ、「カウボーイ的」な男らしさにより、セオドア・ルーズベルトは、帝国主義、強いアメリカ、great nationを象徴する人物となるのです。
開拓時代より、アメリカの多くの人々は「強いアメリカ、great nation」を良しとします。
それは今でもほとんど変わっていません。
その価値観があるが故に多くの若者が進んで戦争へ従軍しています。
第一次世界大戦に志願兵として従軍したヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナー。
第二次世界大戦では、サリンジャーが志願しています。
そして、サリンジャーは退役後にはPTSDで苦しむことになるのです。
ちなみに、1900年代初頭(1901年-1909年)、第26代大統領を務めたセオドア・ルーズベルトの愛称は「テディ」です(;^_^A
「テディベア」の名前の由来にもなっています。
PTSDで苦しむサリンジャーが救いを求めた東洋思想。
第二次世界大戦に従軍したサリンジャーは、戦時下の過酷体験によりPTSDに悩まされ、執筆ができなくなります。
そんなサリンジャーの救いとなったのが東洋思想です。
「禅」は、「公案」と呼ばれる問答への自分なりの考えを示すことで、思索を深めていきます。
公案には、正しい回答はありません。自分が思うことが、全てです。
自分が思うように生きればいいと気が付いたことで、サリンジャーは救われたのです。
「ナインストーリーズ」の冒頭には、禅の公案「隻手の声」が記載されています。
両手のなる音は知る。
「ナインストーリーズ」野崎孝訳(新潮社文庫)
片手の鳴る音はいかに?
皆さんは、この公案の回答は何だと思いますか?
それでは読み始めていきましょう。
物語の前半では、テディと両親、そして妹のブーバーとの生活描写を積み重ねて、テディがどんな少年かを描き出します。
そして後半では、青年ボブとの対話でサリンジャーの思想を描いていきます。
この構成は、何となく漱石の「行人」や「こころ」に通じるものがあるようにも思えます。
客室でのエピソード
まず、この作品の冒頭で描かれるのが客室での人間模様です。
登場人物は、10歳の少年テディ。父親のマカードル氏、母親のマカードル夫人の三人です。
マカードル氏はラジオ番組の主役が三本もある声優です。
そして、豪華客船での船旅。この家族はお金持ちだということが解ります。
そんなお金持ちの家庭の子供であるテディがどんな姿なのかが描かれています。
素足のままにひどく汚れた白のバスケット・シューズを履き、シアサッカー地の半ズボン-これがまた長すぎるばかりでなく、尻の辺りが少なくともサイズ一つぐらいはだぶついている。それに洗いざらしのTシャツだが、これは右肩のところに十セント玉ぐらいの大きさの穴が開いている。(後略)
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
きちんとした服も与えられていなくて、髪の毛も伸ばし放題のままです。
明らかにテディへの愛情が感じられません。むしろ、疎ましがられているようです。
そんなテディは船窓から海を眺めています。
「今朝ね、3時32分にね、反対方向へ行くクイーンメリー号とね、すれ違ったんだ」
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
このセリフからこの物語の時代が解ります。
クイーンメリー号が運航を開始したのが、1936年から1939年まで。
そして、第二次世界大戦をはさんで1946年から1958年ごろまでです。
この作品の時代は1960年代以前だということになりそうです。
誰かがバケツ一杯のオレンジを海に捨てます。
その様子を見ていたテディは言います。
「もしもあれがあそこにあることを知らなければ、そもそもオレンジの皮ってものが存在するということさえ言えなくなるはずだ」
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
これは、「観念論」です。自分が思うものだけがここに存在する。
思わなければそこには何も存在しない、という考え方です。
自らの思考が総て、自分が見えているものだけが世界の総てだと言っているのです。
サリンジャーが救いを求めた「禅」の思想そのものです。
ここまでで、テディが、どんな少年か、そして家族との関係性が見えてきました。
さて、テディは妹のブーバーを探しに、船室を出ます。
船室を出た後、乗務員との会話
船室を出て、階上のメーンデッキに行くと、海軍の制服を着た女性がいます。
テディたち家族が乗っているのは、軍用の船の様です。女性はテディに話しかけます。
「あなたのお名前は?」
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
「シオドア・マカドール。あんたは?」
「あたしはマシューソン海軍少尉」
(中略)
「海軍少尉ということは分かってるさ」
「でも人に名前を訊かれたら、姓名の全体を言うのが本当じゃないのかな(後略)」
テディは両親だけではなく他人に対しても軍人であろうと、なかなかな物言いをする子供だということが解ります。
妹ブーパーとの会話
ブーパーをあちこち探し回ったテディ。
運動用甲板で、彼女を見つけます。
ブーパーは、一緒に遊んでいる男の子を蔑み苛めているようです。
そして、こんなことを言い出します。
「双六(Backgammon)に飽きたらあそこの煙突に登って、みんなにこいつ(デッキゴルフの円盤)をぶっつけてみんな殺してしまうんだ。」
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
(中略)
「あんたのお父さんやお母さんだって殺せるのよ」
「殺す」というワードがやたら出てきて、ブーパーの不穏な性格が暗示されています。
そして、テディとブーパーは仲たがいをし、険悪な空気が漂います。
立ち去るテディに、ブーパーは「兄さんなんか大嫌い!」と叫ぶのです。
この捨て台詞は、ラストの展開の伏線になっていますので、よく覚えていてくださいね(;^_^A
ここまで読んで皆さんは何を思ったでしょうか。
テディを取り巻く様々な登場人物とのエピソードの積み重ねで、テディがどのような少年であり、どのような環境にあるのかが描かれているのです。
この描き方は、夏目漱石が登場人物のキャラクターを読者に解らせるために淡々と生活描写を描き続けるのと似ています。
さぁ、いよいよ後半に入ります。
ここからサリンジャーが伝えたかったことが怒涛のように押し寄せます(;^_^A
日光浴甲板で日記を読むテディ。
ブーパーと別れた後、テディは日光浴甲板に行きます。デッキチェアに座り、日記帳を読み始めるテディ。
そこには、することリストが書かれています。
「父の軍隊時代の認識票を探し出し、可能なときにはいつでも身に着けられるよう配慮すること。身に着けても死にはせぬし、父が喜ぶから」
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
(中略)
「食堂であの給仕がまたあの大きなスプーンを落っことしても失神しないこと。父が激怒するから」
テディのお父さんは元軍人です。逞しさを良しとする人物なのが伺えます。
どうやらテディの弱さに嫌悪感を持っているようです。
強いアメリカと弱いテディ=サリンジャーの図式が見えてきませんか?
日光浴甲板でのボブ・ニコルソンとの会話
テディが日記帳を読んでいると、一人の青年がやってきます。
ボブ・ニコルソンです。彼は、こんな外観です。
腿のところが並外れて太く、普通の人間の胴体ほどもある感じだ。服装はだいたいがアメリカ東部海岸の制服というか、つまり上はいわゆる芝生刈りと称する短く刈り上げた頭髪(後略)
「テディ」野崎孝訳(新潮社文庫)
「アメリカ東部海岸の制服」というと、アイビーリーグの大学生を彷彿させます。
「エリート」「マジョリティ」「強いアメリカ」の象徴です。
強いアメリカと弱いテディ=サリンジャーの図式が、ここにも出てきました。
ここから、二人の問答が始まります。
強いアメリカに対して、サリンジャーの想いをぶつけていく構図になっているように見えます。
ここまでのお膳立てを基にして、読み込んでいけば、きっと何かが見えてくるはずです。
なぜ、サリンジャーは「テディ」を書いたのか。
サリンジャーは「テディ」を書き終えた後、アメリカ最大の大都市ニューヨークを離れ、隠遁生活の入ります。
それを踏まえると、「テディ」という作品は、サリンジャーが別れを告げることを代弁しているかのように思えて仕方ありません。