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JDサリンジャーは、大人が造った世の中のせいで若者の心がどれほど傷ついたかを描き続けた作家-海外の文豪名鑑02

JDサリンジャーは、大人が造った世の中のせいで若者の心がどれほど傷ついたかを描き続けた作家-海外の文豪名鑑02

  • 海外文学

掲載日: 2023年07月23日

大ベストセラーの代表作「ライ麦畑でつかまえて」は、よく知られているのですが、
その割に作品を読んだ人は少ないような気がします。
なんだかとっつきにくい作品、というイメージがあるからではないでしょうか。

ところが、当時のアメリカの若者には熱狂的な受け入れられ、社会現象にまでなっています。
まさに20世紀を代表する文学作品なのです。
難解で判りにくいイメージのあるサリンジャーの作品が、なぜ当時の若者に受け入れられたのか。
彼の歩んだ人生を辿るとその答えが見つかるかもしれません。

JDサリンジャーってどんな作家?  

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger)は、1919年にニューヨークのマンハッタンで生まれたユダヤ人。

コロンビア大学で、小説のイロハを学び、小説家を志します。
そして、第二次世界大戦では従軍し、死線をかいくぐり幾多の人間の死を身近に経験。
そのせいで、精神に不調をきたしてしまいます。
そういった経緯もあって、サリンジャーは小説を書くこと自体で救いを求める作家となっていきます。
販売どころか、出版すらも目的ではありません

そんなJDサリンジャーの人生を見ていきましょう。

幾多の挫折を味わう少年期

サリンジャーは、1919年、ニューヨークのマンハッタンで生まれます。
父親は、食肉やチーズを販売する貿易会社を経営するユダヤ人。
そして、専業主婦の母親と、8歳上の姉。
とても裕福な四人家族の家庭で育ちました。

13歳の時に全寮制の学校に入学しますが、勉強の成績があまりよくなくて一年で退学処分
その後、ペンシルバニアの学校へ転入します。

世界最大の大都会ニューヨークから、田舎のペンシルバニアへ。
「ライ麦畑で捕まえて」の主人公ホールデン・コールフィールドも、ニューヨークの高校を退学になってペンシルバニアの寄宿学校へ編入します。サリンジャーの人生と重なって見えてきますね。

小説家を志す青年期

1939年、20歳になったサリンジャーは、ニューヨークへ戻り、名門大学のコロンビア大学の聴講生となり、ホイット・バーネット教授の元で小説の創作技法を学びます。
サリンジャーの才能を見出したホイット・バーネットは、サリンジャーに短編小説の執筆を指導します。
翌、1940年に、処女作「若者達(The Young Folks)」が、ホイット・バーネット教授が主催する文芸雑誌「ストーリー」に掲載されます。

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1941年、22歳の時に短編小説「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗(Slight Rebelion off Madison)」を執筆します。

この作品は、のちの代表作となる「ライ麦畑で捕まえて」の主人公、ホールデン・コールフィールドが初めて登場した作品です。

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名門雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載が決まりますが、アメリカが第二次世界大戦へ参戦することとなり、掲載は延期となってしまいます。

戦場での過酷な体験

1942年、23歳のサリンジャーは、志願して陸軍へ入隊します。
1944年には、イギリスに派遣され、ノルマンディー上陸作戦に参加。
死線をかいくぐる過酷な体験をします。

そんな状況下でもサリンジャーは、創作を続けています。
常に筆記用具を持ち歩き、常に執筆していました。

が、次第に
激しい戦闘によって精神的に追い込まれていき、
ドイツ降伏後は神経衰弱を患い、ニュルンベルクの陸軍総合病院に入院します。
入院中に知り合ったドイツ人女性医師シルヴィア・ヴェルターと結婚。
この結婚は、二年ほどしか続きませんでした。
長かった軍隊生活を終え、1945年、26歳で軍を去ることになります。

戦争の残した傷跡。

帰還当初は、精神状態が不安定なため執筆ができない状態でした。
そして、従軍中に書き溜めた作品が雑誌に掲載され始めていきます。

1945年の末には、短編小説「ぼくはちょっとおかしい(I’m Crazy)」が雑誌「コリアーズ」に掲載されます。

この作品は、5年後の1950年に発表される「ライ麦畑で捕まえて」の主人公、ホールデン・コールフィールドが学校を退学になる際に恩師にお別れに行くエピソードが描かれています。

そして、翌1946年には、短編小説「マディソン・アヴェニューのはずれでのささいな抵抗(Slight Rebelion off Madison)」が、名門雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載されます。

禅などの東洋思想の教えに救いを求め、次第に執筆活動ができるようになるサリンジャー

ユダヤ教などの一神教は、戒律を守ることが最重要で、自分の好みなどは二の次です。
自分の想いは押し殺してでも、戒律を守らなくてはいけません。
一方で、多神教である東洋思想では、様々な価値観があります。
見たくないもの、関わりたくないものは、避ければよい、と思えるようになったのです。

1948年、29歳の時に、短編「バナナフィッシュにうってつけの日」が雑誌「ニューヨーカー」に掲載されます。
戦争を経験する以前の作品とは、何かが違います。
「死」をイメージするような不穏な空気が、濃厚に漂っているのです。

さらに同年、短編「コネティカットのひょこひょこおじさん」が雑誌「ニューヨーカー」に掲載されます。


そして、1952年、33歳の時には、
22歳から断続的に書き続けていた名作「ライ麦畑でつかまえて」が刊行されます。
この作品は、当初、数社の出版社からは出版を拒否されています。
当時の大人から見ると主人公の言動が狂人のように見えたのです。
が、しかし、若い世代には圧倒的な支持を得て、今なお全世界で売れ続けている大ベストセラーとなります。
なぜ、「ライ麦畑でつかまえて」は、こんなにも若者の共感を得たのでしょうか。
それは、1950年代当時の若者たちを取り巻く状況を踏まえるとよくわかります。

1950年代のアメリカのこと。

1950年代のアメリカは、とても特別な時期。
第二次世界大戦が終わり、大量の帰還兵が生活を始め、大量消費の時代がやってきます。

そこで生まれたのが、若者文化です。
1950年代以前のアメリカでは、人というものは、子どもか大人か、この二つの概念しか存在しませんでした。
「ティーンエイジャー」という概念がアメリカで誕生したのは、第二次世界大戦後のことです。

そんな一方で、戦場で過酷な体験をしたことで、多くの若者自身は心身を病み、生きる意味を見失っていました。そして、大人たちが引き起こした戦争や、これまでの価値観に反感を抱くようになってきたのです。

そんな中で、サリンジャーが一貫して描いてきたのは、大人が造った世の中のせいで若者の心がどれほど傷ついたか、です。
それも、第三者の大人の視点ではなく、若者自身の視点から描いています。
そこで描かれているのは、誰にもわかってもらえない自分の気持ち、失恋、親との対立、心が張り裂けそうな恋愛などです。
そんな若者の心の葛藤を若者目線で描いた作品は、昨今では履いて捨てるほどあります

でも、1950年代当時は、サリンジャーが描いたような作品は、ほぼ存在しません。
多くの作品が、「大人向けの作品」「子供向けの作品」のどちらかです。
サリンジャーの作品を読んで、これは自分のことだと多くの若者が思ったのです。

そして、自分のための作品を書き始める。

作品は売れることになるのですが、それと同時に、作品を読んだファンからの干渉が始まります。
大量の手紙、さらには、実際にサリンジャーを訪ねてくる若者もいました。

サリンジャーは穏やかに暮らせなくなっていくのです。

作品を読んだファンからの干渉を避け、執筆に専念するために、
サリンジャーは、ニューヨークから遠く離れたニューハンプシャー州に生活の拠点を移します。

1953年に、自選短編集「ナインストーリーズ」を発行。
1961年に、「フラニーとズーイ」を発行。

そして、1963年に「大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア―序章―」を発行しました。
この作品が、サリンジャーが発行した最後の本となります。

事実上、本として発行された最後の作品「シーモア―序章―」。
この作品には、サリンジャーが、これまでどのような意図で作品を発表してきたかが描かれています。とても重要な作品です。

詳細はコチラ↓

シーモア―序章―」についての詳細はコチラ。

その後、1965年6月に「ハプワース16、一九二四」を文芸雑誌「ニューヨーカー」に掲載し、以降は、作品の発表は行っていません。

その後もずっと執筆をつづけるサリンジャー。
サリンジャーにとって、作品の発表は、もはや目的ではありません。
執筆自体が目的となっているのです。
サリンジャーが書いてきた作品を読んでいると、こんなことに気が付きました。
「自分が辿るかもしれない人生を送った人々」をサリンジャーは描いてきたのではないでしょうか。

「ガラス細工」のようなサリンジャーの作品。
ガラスの様に繊細で壊れやすいので、丁寧に読み解く必要があります。
そして、その登場人物も、ガラス細工の様に繊細です。
「ガラス細工」のような作品、と呼ばれる理由がもう一つあるような気がします。
作品の登場人物、つまり、割れたガラスは、二度と元には戻らないのです。

2010年、サリンジャーは老衰にてこの世を去ります。
91歳のことでした。

サリンジャー作品には読み方のコツがあります。

サリンジャーの作品は、読者に独自解釈の余地を残さない江戸川乱歩の作品の様に、ロジックを積み上げて行って、理詰めで読者を最期の結末まで導いてくれる類のものではありません。

サリンジャーの作品は、象徴的なワードやエピソードをちりばめていき、読者に「もしかして、そういうこと?」と訴えたいことを浮かび上がらせるようになっています。
具体的に明記していないことが読者の心の中に想起されるようになっているのです。
ですので、謎解きなんてしようと考えずに、文章を読んで何を感じたかを、素直に自らの心に問うてください。

そこで、作品中に出てくる象徴的なワードを紙に書き出して、何をその場で感じたかをメモしていきましょう。
そして、このメモ全体を俯瞰して思いを巡らせてください。
必ずや、何かがあなたの心の中に浮かび上がってくるはずです。

ちなみに、作品中に出てくる象徴的なワードは、アメリカ人ならば誰もが知っているごく常識的なワードばかりです。
文化的な背景を知らない我々日本人がサリンジャー作品が難解だと感じる要因がそこにあるのでしょう。

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