森鴎外のエッセイ「歴史其儘と歴史離れ」を読むと作品作りへの真摯な取り組みがうかがえます。
- 日本文学
掲載日: 2022年11月09日
「歴史其儘と歴史離れ」は、1915年に発表された森鴎外のエッセイ。
森鴎外は、苦悩の人。
厳格な封建社会の日本で、自らを犠牲にしていました。
生まれた家では、医者の家柄ゆえ、一身の期待を受けて育てられ、
社会に出てからも、軍医として、またもや一身の期待を受けてエリートとして生きていきます。
その重圧やいかばかりか・・・。
そんな状況下で、著作についても、苦悩していることが、
「歴史其儘と歴史離れ」では、伺うことができます。
このエッセイが書かれた1915年以前の鴎外作品の歴史物は、
事実を脚色せずにありのままに書かれています。これが「歴史其儘」です。
その一連の作品は、世間では、「小説ではない」と批判されていたのです。
「わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱つた作品は、小説だとか、小説でないとか云つて、友人間にも議論がある」
鴎外はなぜ、脚色を加えなかったかに言及しています。
「わたくしは史料を調べて見て、其中に窺はれる「自然」を尊重する念を発した。そしてそれを猥に変更するのが厭になつた」
そして、
「現存の人が自家の生活をありの儘に書くのを見て、現在がありの儘に書いて好いなら、過去も書いて好い筈だと思つた」
つまり、当時の文学の主流である「自然主義文学」について
作家本人の人生をありのままに描く作品が良しとされるのであれば、歴史物についても良いのではないか、と言うのです。
しかしながら、それが小説ではないのではと議論が起こってしまいます。
鴎外は悩みます。
「わたくしは歴史の「自然」を変更することを嫌つて、知らず識らず歴史に縛られた。わたくしは此縛の下に喘ぎ苦んだ。そしてこれを脱せようと思つた」
これが「歴史離れ」です。
鴎外は実に柔軟な考えの人だということが判ります。
そうして、鴎外は、史料に脚色を加え、完成させたのが「山椒大夫」です。