ミヒャエル・エンデの「モモ」は、本当の意味を知ると空恐ろしくなるディストピア小説です。
- 海外文学
掲載日: 2024年09月26日
ドイツの作家ミヒャエル・エンデの児童小説「モモ」は、日本では絶大な人気を誇る児童小説です。1973年に発表された後、映像化、舞台化もされています。
お話は、浮浪児の少女モモが、灰色の時間泥棒から人々を救うというもの。
一見するとハッピーエンドのように思われている方が大半だと思います。
ところが、果たしてそうなのでしょうか。
「モモ」が描かれた時代背景。
小説には、作家の体験や思想が色濃く刻まれているものです。
それゆえ、作家が生きてきた時代を見てゆくと、作品に何が描かれているのかが手にとるようにわかってきます。
1929年に生まれたミヒャエル・エンデがどのような時代を生きてきたかをざっくりとみてみましょう。
まずは、十代の頃には第二次世界大戦を体験しています。
ということは、ナチスドイツが何を行ったかをまじかに体験しているのです。
全体主義がどういうものか、その恐ろしさがわかっているのです。
30代となる60年代には、ドイツはベルリンの壁によって東西に分断されます。
社会主義国がどのようなものか、資本主義国がどういうものか、体験します。
40代を過ごした70年代は高度経済成長の時代。
工業化が進み公害が社会問題になっています。
つまり行き過ぎた資本主義を目の当たりにしているのです。
「モモ」を解説します。
物語の冒頭で描かれるのは悠久の昔のこと。そこには、大小さまざまな円形劇場がありました。豪華な劇場や粗末な劇場。人々は自分の懐具合に見合った劇場に足を運んで、各々が演劇を楽しんでいます。
そして時代は変わり、円形劇場も廃墟となってしまうほど、月日は流れていきます。
ここからが、本編の物語の始まりです。
小説の冒頭部分はとても大切な個所です。
そこには作者が一番描きたいものが描かれているからです。
つまり、古き良き時代はなくなっているんだよ、と作者は言っています。
そんなところからこの物語は始まるのです。
廃墟と化した円形劇場を住みかにしている浮浪児のモモ。
彼女の周りには、次第に彼女を慕って人々が集まってきます。
モモに話を聞いてもらうと、人々は希望が持てるようになりそれゆえ人生が楽しくなるからです。
なぜ人々は、希望が持てなくなっているのでしょうか。
それは灰色の男たちがいて、人々の時間を盗んでいるからです。
これは一体何を描こうとしているのでしょう。
それは、この作品が描かれた70年代当時の時代背景を見るとよくわかります。
戦後の経済復興のため人々は、しゃにむになって企業で働いている時代。
日本でもそうです。「社畜」なんて言う言葉もありました。
高度な工業化のおかげで、今では考えられないくらいの公害問題が起きています。
公害が起こした大気汚染。灰色の光化学スモッグの時代です。
この後は、灰色の男たちは、なんとかしてモモを捕まえようと画策します。
その間にいろんなことが起こっていきます。
子供たちは遊ぶことすら管理されて、仕事ができるようになるためだけの教育を受けさせられます。
有名人になったジジ、レストランの経営でてんてこ舞いするニノ。
これは、いったい何を描いているのでしょうか。
60年代には、ドイツはベルリンの壁によって東西に分断されます。
社会主義国がどのようなものか、行き過ぎた資本主義がどうなっていくのか、警告をしているかのようです。
最後は灰色の人々は消滅してこの話は幕を閉じます。
本編を読み終えた皆さんは、めでたしめでたし、と思っているかも知れません。
が、話はこれで終わりではないのです。
背筋が凍る「作者のみじかいあとがき」
本編のお話が終わった後に「作者のみじかいあとがき」があります。
そこに何が書かれているか。
「モモ」の物語は、作者が旅の途中で汽車に乗っているときに乗り合わせた一人の乗客から聞いた話がもとになっているというのです。
話し終わったその乗客は最後にこう付け加えました。
「私は、いまの話を過去に起こったことのように話しましたね。でもそれを将来起こることとして話してもよかったんです」
つまり、モモが体験したひどい世の中は、解決したのではなくこれから起こる事なんだと言っているんです。
環境問題を憂うミヒャエル・エンデ。
この地球では、「環境の破局」か「経済の破局」がどちらかを選ばなくてはいけない事態になっていると警告しています。
インタビュー動画がありますので、ぜひご覧ください。