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中原中也の詩を、より深~く味わう方法。

中原中也の詩を、より深~く味わう方法。

掲載日: 2025年01月24日

詩を味わう方法の一つは、何の予備知識も持たずに読んで揺り動かされた感覚を味わうことです。
何が正解か、どう解釈をすればいいかなんて考えずにあなたが感じたものが正解です。

でも、それだけだと味わい尽せない場合も出てきます。
私は初めて中原中也の作品に触れた時に、何の予備知識もなしで読みました。
作品によっては意味がさっぱり分からない詩もあり、途方に暮れたことを覚えています。

中原中也の詩は、バリエーションに富んでいます。
脈絡のない文章が並び意味がさっぱり分からない詩があるかと思うと、幻想的で美しい詩、はたまたユーモラスな詩、物悲しい詩、いろんなタイプの詩があります。

一体なぜ、そうなっているのか。
その時ふと思ったのは、中原中也の人生にリンクしているのでは?ということです。

具体的に見ていきましょう。

「春の夜(山羊の歌より)」


燻銀いぶしぎん
なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。

月光うけて失神し
  には土面つちも附黒子つけぼくろ

あゝこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまはれ。

このすゞろなる物の
  希望はあらず、さてはまた、懺悔もあらず。

つつましき木工のみ、
  夢のうちなる隊商のその足竝もほのみゆれ。

窓のうちにはさはやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹ごろも

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親もぬ。

埋みし犬の何処いづくにか、
  蕃紅花色さふらんいろに湧きいづる
      春の夜や。

中原中也「山羊の歌-春の夜」(青空文庫より)

■「春の夜」は、全く意味が判りません。
中原中也が作家として世に作品を発表し始めるのは1924年(大正13年)、17歳の頃です。
「春の夜」は、この頃に書かれた作品。

この時の中也は「ダダイズム」に傾倒していました。
ダダイズムは、これまで良しとされてきた芸術を否定する表現方法。
何を表現したいかという意図を無くし、早い話が「表現を否定している」のです。

それ故、この頃の作品の特徴は何の脈略もない文章が並んでいます。
つまり、意味が解らなくて当然。解らなくて正解だったのです。
破壊的な文章をただ味わえばいいのでしょう。

「臨終(山羊の歌より)」

秋空は鈍色にびいろにして
黒馬の瞳のひかり
  水れて落つる百合花
  あゝ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近くをみなの逝きぬ
  白き空めしひてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗へば
その腕の優しくありぬ
  朝の日はこぼれてありぬ
  水の音したたりてゐぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

中原中也「山羊の歌-臨終」(青空文庫より)

■1926年(大正15年)、19歳の頃には、中也はフランスの詩に興味を持ち、ダダイズムから距離を置くようになっています。
それ故、これ以降の詩は難解さが少しづつ薄れていきます。
「臨終」はこの頃に書かれています。
そして、この前年に同棲していた長谷川泰子が小林秀雄の元へ去ってしまうつらい体験をしています。

その喪失感をこの作品から感じることができるのではないでしょうか。

「秋の夜空(山羊の歌より)」

これはまあ、おにぎはしい、
みんなてんでなことをいふ
それでもつれぬみやびさよ
いづれ揃つて夫人たち。
    下界は秋の夜といふに
上天界のにぎはしさ。

すべすべしてゐるゆかの上、
金のカンテラいてゐる。
小さな頭、長い裳裾すそ
椅子は一つもないのです。
    下界は秋の夜といふに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
とほき昔の影祭、
しづかなしづかな賑はしさ
上天界のよるの宴。
    私は下界で見てゐたが、
知らないあひだに退散した。

中原中也「山羊の歌-秋の夜空」(青空文庫より)

■中原中也は、1928年(昭和3年)、21歳の頃から宮沢賢治の作品を読むようになり、影響を受けるようになります。
「秋の夜空」は、この頃に書かれた作品です。
まさに宮沢賢治の作品を彷彿させる寓話的な味があります。

「春日狂想(在りし日の歌より)」

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、ごふ(?)が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

中原中也「在りし日の歌-春日狂想」(青空文庫より)

1937年(昭和12年)、30歳の頃に書いた詩が「春日狂想」です。
何も知らずにこの詩を詠んだとしても、かなり沈痛な気持ちを受けるかと思います。
実は、この前年の1936年(昭和11年)に、初めて授かった男の子を2歳で亡くなっているのです。
このことを踏まえて、この詩を読むと涙が出そうになってしまいます。

このように、中原中也の詩は、彼の人生に見事にリンクしていることがわかります。あなたが読んだ詩が書かれたときに、中原中也がどんな状況であったかを踏まえて、作品を読むとより味わい深いものがあるのではないでしょうか。

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