朗読コンテンツ09-夏目漱石「夢十夜」-第三夜(おぶった子供が重くなる話)は、漱石の罪の意識を描いています。」
- 日本文学
掲載日: 2022年12月13日
「夢十夜」とは。
「夢十夜」は、1908年(明治41年)に『朝日新聞』に連載された連作短編小説。
朗読にピッタリの長さの作品です(;^_^A
作家の人生をありのままに描く「自然主義文学」とは異なり、
リアルな「作り物」を旨としている漱石らしく、実に不思議なお話。
そして、ただの空々しい幻想的な物語ではなく、
生き生きとしたリアリズムにあふれています。
今回お届けする朗読は、夏目漱石「夢十夜」の第三夜です。
「夢十夜 第三夜」を、解説します。
「第三夜」は、おんぶしている子供が次第に重くなってくるという不気味な物語です。
夏目漱石は、明治38年に下記のような書簡を教え子である野間氏に送っています。
「昔し大変な罪悪を冒して其後(そのご)悉皆(しっかい-ことごとくみな)忘却して居たのを枕元の壁に掲示の様に張りつけられて大閉口をした夢を見た。何でも其罪悪は人殺しか何かした事であつた」
(明治38・1・15 野間真綱宛書簡)
第三夜は、漱石のこの時の心境を作品にしたもの。
それを踏まえて、作品を見ていきましょう。
冒頭、主人公は子供をおんぶしています。
ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。
「夢十夜」(青空文庫)
おぶっている子供というのは、夢で見た、自らの「大変な罪悪」です。
自分のことだからこそ、「対等」なのです。
そして、「眼が潰れて」いる。
何をしたのか、ことごとく忘れているのです。
主人公は、子供をおぶって歩き続けます。
そして、こう思うようになります。
その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。
「夢十夜」(青空文庫)
何かの罪悪を生涯、背負って生きていく、ということでしょうか。
では、その罪悪とはいったい何なのでしょう。
その答えは、最後の方にあります。
森の中に入り、杉の木のところに来た時です。
「文化五年辰年だろう」
「夢十夜」(青空文庫)
なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。
「文化五年」という年号が3回も出てきます。
これは何か意味があるハズです。
文化5年(1808年)フェートン号事件について。
文化五年当時の日本は、限られた国としか貿易をしない「鎖国」状態でした。
文化5年以前にもロシアが通商を要求してきましたが幕府は拒否しています。
そして、1808年(文化5年)イギリスの軍艦フェートン号が長崎を訪れます。
ただ、日本との貿易が目的ではなく、敵対関係にあるオランダ船の捕獲が目的でした。
産業革命で急成長を遂げたイギリスは、アジア地域との貿易の独占をもくろんでいたのです。
結局、軍備で対抗できなかったため、イギリス側の言われるがままになる日本。
大きな屈辱を受けました。
この事件がきっかけで、九州諸藩は、軍備の拡張を始め、これが、明治維新の原動力となるのです。
誰を殺したのか。
「文化五年に、一人の盲目を殺した」という文章が、鎖国状態の日本が屈辱を受けたことを象徴しているのではないでしょうか?
このことに気が付いたのは、読書会の常連さんの方です。
2023年7月15日に行われた「夢十夜の輪読会」で、言及頂いたのです。
英文学を教え、西洋化の一役を担うことに罪悪感を感じていた漱石。
最後の文章が、とてもやるせないのです。
おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。
「夢十夜」(青空文庫)
漱石に、罪の意識が重くのしかかってくるわけです。
そんな恐ろしげな物語を朗読と映像で表現してみました。