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JDサリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、高慢ちきな男に育った青年が身の丈を知る物語に違いない。

JDサリンジャー「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、高慢ちきな男に育った青年が身の丈を知る物語に違いない。

  • 海外文学

掲載日: 2024年02月20日

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、1952年、サリンジャーが33歳の時、文芸雑誌「ザ・ニューヨーカー」5月号に掲載された短編小説。「ライ麦畑で捕まえて」が出版された翌年です。

この物語の主人公は、大恐慌真っただ中の1930年のニューヨークに、パリからやって来た裕福な19歳の青年。
鼻持ちならない利己主義なこの青年が、異国の地で様々な経験を通じて成長していく物語です。

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」を解説します。

サリンジャーは、自らの作品の解説をしていません。
ですので、サリンジャーがこの作品で、何を描きたかったのかは、誰も知りえません。
作品を読んだ人が何を感じたか、が総てです。
解説します」と銘打ちましたが、単なる私の所感にすぎませんのであしからず(;^_^A

この作品を読み始める前に。

教養のあるアメリカ人ならば、多くの人が知っているアメリカの文化的背景。それを日本で育った私たちは知らないことも多いです。まずは、最低限知っておかなければいけないことを整理しておきましょう。

「青の時代」とは何か。

「青の時代」は、若きパブロ・ピカソが苦悩して不安定だったころの作風を指しています。
画面が青の色相で統一され、不安を駆り立てる雰囲気が漂っているのが特徴です。

物語の時代背景。

1930年代は、アメリカの株価が大暴落して大恐慌真っただ中の時期。
街中には失業者が溢れています。

一方、1930年代のパリ。そこは世界中の文化の最先端の地。世界中の文化人が集う地です。
禁酒法で鬱々としていたアメリカの多くの文化人は、こぞってパリへ逃げていきました。そんな状況下でのパリの人々は、アメリカに対してどんな感情を抱いていたか・・・。

この失業者で溢れかえっているニューヨークで、パリからやって来た主人公の若者は優雅な生活をしているのです。
それを踏まえて読み進めると、読み解くための一助となるのではないでしょうか。

その辺の様子がよくわかる映画があります。
ウッディアレンの「ミッドナイト・イン・パリ」をぜひご覧ください(;^_^A

それでは、読み進めていきましょう。

まずは冒頭、プロローグ。

この物語の主人公「わたし」が、自分を育ててくれた義父ボビーとの思い出に、これから語る物語を捧げたいと言っています。
ボビーがどんな男だったかというと、「粗野磊落にして好色」な義父。
さらにボビーのことを、「冒険心に溢れ、人を引き付ける魅力に富み、すこぶる気前が良い」と言っていますが、以前はそんなことは言いたくても言えなかったようです。

「わたし」は、ボビーが「冒険心に溢れ、人を引き付ける魅力に富み、すこぶる気前が良い」だということを、今だからこそ言えるようになったのです。

つまり、「わたし」は幾ばくかの成長をしたのです。
この物語は「わたし」の成長の物語だということが解ります。

「わたし」がどんな人生を歩んできたか。

この物語の主人公が、「どんな人物なのか」がエピソードの積み重ねで描き出されていきます。

1930年代初頭、「わたし」の家族は、大恐慌下のニューヨークからパリへ行き、一旗揚げます。
その当時、10歳だった「わたし」。
それを、「クールな10歳だった」と回顧します。

そして裕福な家族は、9年後に再びニューヨークへ戻ってくるのです。
そこは失業者で溢れる大不況の地。
文化の最先端の地、パリで絵画を学んだ19歳の「わたし」は、日々通うアメリカの美術学校に辟易しています
月に18枚もの油絵を描くのですが17枚は自画像です。

ここまでのエピソードで、「わたし」がどんな性格の人物かがおぼろげながらわかってきました。
スノッブで、自意識過剰で、鼻持ちならない性格の様です。

カナダの美術学校の講師となる。

さて、スノッブで、自意識過剰で、鼻持ちならない性格な「わたし」は、カナダの美術学校の講師としての職を見つけ応募することにします。

その応募の書類には、嘘八百が並べ立ててあるのです。
曰く、ピカソは両親の知人であるとか、自分の描いた絵はパリの上流階級の家々に飾られているのだとか、そして、自らの名も貴族を気取った「ド・ドーミエ・スミス」と偽名をを書き連ねています。

そんな嘘で塗り固めた経歴で応募し、採用された美術学校を経営するのは、日本人のヨショト氏。

いざ、仕事が始まると、仕事はヨショト氏の英文をフランス語に翻訳する仕事ばかりです。
得体の知れない日本人ということも相まって、自分のウソがばれてしまったのではないかと、疑心暗鬼に陥っていくのです。

そんな折、三人の生徒が描いた絵の添削を任されます。

一人は、23歳の主婦、バンビ・クレーマー
彼女は、レンブラントやウォルト・ディズニーに肩を並べられるような存在になることを願っています。ところが彼女の描いた絵は惨憺たるもの。
自意識がかなり強い人物の様です。

もう一人は、56歳の写真家、ハワード・リッジフィールド
彼の描いた絵は、うら若い女性が教会の祭壇の裏でレイプされている様子を描いています。とんでもないサイコ野郎です(;^_^A

最後の一人は、修道院付属の小学校で絵を教えている修道女、アーマ
常識のある人物で、絵の才能も顕著です。
そんな常識人の女性に、ド・ドーミエ・スミスは、「長い長い、いつ果てるとも知れぬような手紙を書いた」のです。

そこには、絵の添削だけでなく、「彼女がいくつであるのか、年齢を教えてもらいたいと懇願し
さらには、「彼女のいる修道院では、訪問者を受け入れてもらえるのかと質問した」のです。

第一の啓示。

修道女、アーマからの返信を待ち焦がれるド・ドーミエ・スミス。
新入生の作品の添削に真摯に取り組んでいるようです。

そんなある日のこと。外出先から戻ってきた際に、美術学校の入っている建物の一階にある「整形外科の医療器具店」のショーウィンドウに目が留まります。

そこにあるのは、「琺瑯びきの尿瓶や便器」そして、「脱腸帯をしめて立っている木製のマネキン」です。

その光景を見たド・ドーミエ・スミスは、「いつかは自分自身の人生を生きる術を学ぶだろうが、ずっと一介の訪問者でありたいんだ」と気が付きます。
自分の人生を生きていないんだと気が付いたと言っているのです。
他人の人生に乗っかっていたいだけなんだということでしょうか。

とにかく私は逃げるようにして階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込み、服を脱いでベッドに飛び込んだことを覚えている。日記をつけることはおろか、日記帳を開きさえしなかったのは言うまでもない。

「ド・ドーミエの青青の時代」野崎孝訳(新潮社文庫)

ド・ドーミエスミスは、この考えに至ったことに、強い衝撃を受けたようです。自分の人生を生きていないんだと気が付いたのですが、ただ、どうして、そんな考えに至ったかは書かれていないのです・・・(;^_^A
サリンジャーは、退役した後にPTSDに陥り、作品が書けなくなってしまいますが、東洋思想に出会い何かを悟り、執筆を再開しています。
その体験をモチーフにしているのでしょうか。

第二の啓示。

修道女、アーマからの返信が届きます。
が、それは、修道院の院長からの手紙で、アーマは退学させる旨が告げられていました。
読者はそりゃそうだと思うことでしょう(;^_^A

が、ド・ドーミエスミスは、そうではありません。
憤慨のあまり、担当していた4人の生徒全てに「絵描きになることは断念するように勧告した」のです。さらには、アーマに手紙を書きます。そこには長々と説得する弁が書かれています。

その手紙を投函しに出かけ、その折に「整形外科の医療器具店」のショーウィンドウに再び目が留まります。
ショーウィンドウの中では、三十がらみの女性がマネキン人形の脱腸帯を取り換えているところです。スミスの視線に気が付いた女性は驚いてしりもちをついてしまいます。
その次の瞬間「きわめて異様なこと」が起こるのです。

突然太陽が現われて(と、こういうことを言うに当って、わたしはそれ相当の自意識をもって言っているつもりだが)太陽が現われて、わたしの鼻柱めがけて、秒速九千三百万マイルの速度で飛んで来たのだ。わたしは目がくらみ、ひどくおびえて──ウィンドーのガラスに片手をついてようやく身体を支えたくらいである。続いたのはほんの数秒に過ぎなかった。そしてふたたび目が見えるようになったとき、ウィンドーの中にはすでに女性の姿はなく、後には二重の祝福を受けた世にも美しい琺瑯の花の花園が微かな光を放っていた。

「ド・ドーミエの青青の時代」野崎孝訳(新潮社文庫)

スミスが啓示を受けた様子の描写です。
具体的にこのような現象が起こったというよりは、スミスが感じた心象風景のようなものサリンジャーは表現しているのではないかと私は思っています。

スミスはその後、どうなったか・・・。

わたしは後ずさりしてウィンドーを離れると、力が抜けた膝が旧に復するまで、そこの一郭を二度回った。

「ド・ドーミエの青青の時代」野崎孝訳(新潮社文庫)

この体験は衝撃だったようです。何がスミスをそうさせたかは解りませんが、スミスの中で何かが変わったのです。

その後、日記に「シスター・アーマには自らの運命に従う自由を与えよう」と書き記し、絵描きになることを断念するようするように促し退学させた4人の生徒に、復学させる旨の手紙を書きます。

つまり、シスター・アーマに付きまとうのはやめにし、4人の生徒の人生に横槍を入れるのもやめにしたのです。他人の人生に乗っかっていることを悔いたのでしょう。

ただ、何がスミスにそんな気持ちにさせたのかは、具体的には書かれていませんが・・・(;^_^A

そんなスミスは、その後ボビーのいるロードアイランドへ行き、二ヶ月もの間、「あの夏に活動する動物の中でも最も興味深い<ショートパンツのアメリカ娘>という動物の調査研究に費やした」ようです。

ここが、冒頭の「粗野磊落にして好色」なボビーに繋がるのでしょう。

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」が、他の作品と毛色が違うのはなぜ?

「ナインストーリーズ」のこれまでの7作品は、戦争の影響に苦しむ若者の苦悩を描いていました。
ところが、「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、ちょっと毛色が違います。

パリからやって来た主人公の若者は、優雅な生活をしています。
おまけに、スノッブで、自意識過剰で、鼻持ちならない性格です。

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」は、1952年、文芸雑誌「ザ・ニューヨーカー」5月号に掲載された短編小説。「ライ麦畑で捕まえて」が出版された翌年に発表された作品です。

「ライ麦畑で捕まえて」が出版された後、若者の苦悩の声を代弁したかのような物語は、多くの若者の共感を得ることになります。その結果、アメリカ中の若者がサリンジャーの元を訪ねていくという事態が起こります。
その事態に嫌悪感を持ったサリンジャーは、以降、人との交流を断ち、隠遁生活に入ってしまいます。

「ド・ドーミエ=スミスの青の時代」の主人公の若者はとても嫌な青年として描かれています。
読者に共感を得るような主人公は、金輪際描きたくなかったかのようではないですか(;^_^A

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