「三四郎」は、夏目漱石最後のユーモア小説です。
- 日本文学
掲載日: 2021年08月27日
「三四郎」は、明治41年(1908年)朝日新聞に連載された小説。
翌年には春陽堂から発行されています。
続編の「それから」、「門」へと続く三部作の一作目です。
「三四郎」以降の作品は、ユーモラスなものが排除され憂鬱さが前面に出てきます・・・。
夏目漱石の人生を知ると作品の生い立ちに連動していることがよくわかります。
熊本から大学進学で上京した三四郎。
彼は、自分の周りには「郷里」「学問」「恋愛」の三つの世界があることに気が付きます。
どこに向かうべきか。
揺れ動く心の様を漱石は描いていきます。
1章、熊本から三四郎が上京するまで
この章では漱石特有のユーモラスな文章が列挙されていますので
めちゃオモシロい(;^_^A
汽車の中で食べた弁当の「折」を三四郎は窓から放り出す。
が、「折」は風で舞い戻ってしまう。
ふと見ると、前の席の女が手拭いで額のあたりを拭いている。
こんなコントのようなエピソードが満載です。
2章、自分の置かれている状況に目覚める三四郎
東京での生活に疎外感を感じる三四郎。
そこへ熊本の母から手紙が来る。
三四郎はふとこう思う。
「自分が接触している現実世界は、今のところ母からの手紙以外はない」
大都会での生活が絵空事のように見えている三四郎の心情をこんな風に描いています。
言い得て妙です。
3章、自分を取り巻く人々を想う三四郎。
大学の教員である同郷の野々宮は
研究に勤しむあまり、入院中の妹を見舞うのを疎ましく思う。
三四郎は思う。
「そういう人に逢って過ごす時間が本当の時間である」と。
小難しい純文学を論ずる文壇と距離を置いていた漱石らしいセリフだと思います。
4章、新たな出会いをする三四郎。
大学の講義に虚しさを覚える三四郎。
九段をぶらつくうちに広田先生が言う。
「古い燈台が、まだ残っているそばに新式の煉瓦れんが作りができた。
二つ並べて見るとじつにばかげている。
けれどもだれも気がつかない、平気でいる。
これが日本の社会を代表している」
近代化を進める政府への批判を感じます。
さて、5章以降では、恋愛要素も交え、
さらに複雑な人間模様が描かれていきます。
2021年8月28日(土曜日)にオンラインで開催された読書会で
夏目漱石の人生などについてのもっと詳しいことを説明しました!
【8/28(土)】解説付き「本コミュ」読書会 vol.66:テーマ「夏目漱石 」
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