芥川龍之介「蜜柑」は、その頃の芥川龍之介の心情を代弁しているかのような作品です。
- 日本文学
掲載日: 2024年02月15日
芥川龍之介「蜜柑」は、1919年(大正8年)、雑誌「新潮」に掲載された短編小説。
芥川龍之介の実体験を基にした作品です。
「蜜柑」のあらすじ
ある曇った冬の夕暮れ。横須賀線の二等客車に乗った主人公が、乗り合わせたみすぼらしい少女の行動を見て、ひと時の心の平静を取り戻す様子を描いています。
「蜜柑」を読み解いていきましょう。
「蜜柑」が発表された当時の芥川龍之介は、毎日新聞に入社し、創作に専念でき、また、結婚もしています。充実した時期なのではないでしょうか。
そんな時期に書かれた「蜜柑」は、いったいどんな作品なのでしょうか。
まずは冒頭、こんな場面から始まります。
或曇った冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待っていた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はいなかった。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
なんだか寂し気な雰囲気が漂っています。
主人公はこんな気持ちでいるようです。
外を覗くと、うす暗いプラットフォオムにも、今日は珍しく見送りの人影さえ跡を絶って、唯、檻に入れられた小犬が一匹、時々悲しそうに、吠え立てていた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかわしい景色だった。私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落していた。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
不安が一層増すような景色です。そこには色彩がまるで感じられません。
モノクロームの世界です。
そこへ、突然、13、4歳くらいの小娘が慌ただしく入ってきます。
それは油気のない髪をひっつめの銀杏返しに結って、横なでの痕のある皸だらけの両頬を気持の悪い程赤く火照らせた、如何にも田舎者らしい娘だった。しかも垢じみた萌黄色の毛糸の襟巻がだらりと垂れ下った膝の上には、大きな風呂敷包みがあった。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事そうにしっかり握られていた。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
前の席に座った娘は、下品な顔立ちで、服装は不潔、そして二等と三等との区別さえもわきまえない愚鈍なところに、「わたし」は不快を感じます。
「わたし」は、娘を嫌悪しているのですが、そこには明らかに色彩が感じられます。
「赤い頬」「萌黄色の毛糸の襟巻」「三等の赤切符」。
ここから先、「わたし」の周りには光が差し込んでくるようになります。
ポケットの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。するとその時夕刊の紙面に落ちていた外光が、突然電燈の光に変って、刷すりの悪い何欄かの活字が意外な位鮮に私の眼の前へ浮んで来た。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
けれども、夕刊の記事は退屈な記事ばかり。「わたし」の憂鬱は改善しない様です。
と、その時、娘が突拍子もない行動を起こします。
窓を開けようとするのです。
窓が開くと同時に、列車はトンネルに入ります。
その四角な穴の中から、煤を溶したようなどす黒い空気が、俄に息苦しい煙になって、濛々と車内へ漲り出した。元来咽喉を害していた私は、ハンケチを顔に当てる暇さえなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆息もつけない程咳こまなければならなかった。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
憂鬱な気持ちを助長させるかのように黒い空気が「わたし」を襲います。
芥川龍之介は、「わたし」を憂鬱のどん底まで落としていきます。
ところが、トンネルを抜けた後に、想像だにしなかったことが起こります。
踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立っているのを見た。(中略)それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反らせて、何とも意味の分らない喊声を一生懸命に迸らせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢いよく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
鮮やかな色彩がよみがえります。
「頬の赤い三人の男の子」そして「暖な日の色に染まっている蜜柑」
娘は、見送りに来てくれた弟たちの労に報いたのです。
その光景を見た「わたし」に心の変化が湧き起こります。
私は思わず息を呑のんだ。暮色を帯びた町はずれの踏切りと、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮かな蜜柑の色とすべては汽車の窓の外に、瞬く暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はっきりと、この光景が焼きつけられた。そうしてそこから、或得体の知れない朗な心もちが湧き上って来るのを意識した。
芥川龍之介「蜜柑」(青空文庫)
毎日新聞に入社し創作に専念でき、さらには結婚もした芥川龍之介は、これまで感じていた不安な気持ちを束の間、忘れることができた心情を代弁するかのような作品に想えます。