JDサリンジャー「笑い男」は、大恐慌を迎える時代を生きた移民の悲哀が描かれています。
- 海外文学
掲載日: 2023年09月21日
「笑い男」は、1949年、サリンジャーが30歳の時、文芸雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載された短編小説です。
コマンチ団という小学生グループの団長が語る「笑い男」の物語を軸にして、団長や団員の少年たちの人生の悲哀を描いています。
「笑い男」を解説します。
舞台は1928年のニューヨーク。当時9歳だった作者(つまり、サリンジャー当人)の一人語りで始まります。
その当時「私」は、コマンチ団という小学生グループに所属していました。
団長である青年が運転するバスに乗って、毎週末、フットボールや野球などのスポーツに興じています。
団長は、優しい青年。
そして、とても人望があり信頼に足る人物です。
今でも私は覚えているが、いつかの土曜日に、迷子になったことがある。でも、私は慌てなかった。団長はいつも必ず私たちを見つけ出してくれたのである。
「笑い男」(新潮文庫)
団長の名は、「ジョン・ゲザツキー」。スタテン・アイランドに住んでいます。
名前からすると、ポーランドなどの東欧系の移民であることが解ります。
主に工場などの重労働に従事している人々です。
また、スタテン・アイランドといえば、マンハッタンへのフェリーで必ず目にするのが「自由の女神」。移民を歓迎する象徴です。
さらに、団の名前である「コマンチ」は先住民の種族の名前です。
共に虐げられている民族を連想させます。
そんな団長が、バスの中で聞かせてくれる物語を、少年たちは心待ちにしています。
それが「笑い男」の物語です。
ある金持ちの一人息子が、中国人の山賊にさらわれます。
ひどい拷問を受け、常に笑ったような醜い顔にされてしまうのです。
以降は、団長が話す「笑い男」の物語と、団長や少年たちの日常が交互に描かれていきます。
そして、物語の展開と、日常が呼応していくのです。とても凝った作りになっています。
そんな日々が続いた二月のある日。「私」は、あることに気が付きます。
団長のバスに今までなかったものが新しく取り付けられていることに気が付いた。フロントガラスの上のバックミラーの上に大学生の角帽とガウンを着た女の子の小さな写真が、額に入ってかかっていたのだ。(中略)
団長は初め言葉を濁していたけれど、しまいにそれが彼のガールフレンドだということを白状した。名前は何というのかと私は訊いた。「メアリ・ハドソン」ためらいがちに彼はそう答えた。私は、映画か何かに出ている人かと言った。
「笑い男」(新潮文庫)
団長に恋人ができたのです。
「映画か何かに出ている人か」、と尋ねたことが、何を意味しているか。
1920年代当時、映画に出てくるような人は、白人、それもWASPと呼ばれるようなマジョリティの白人です。
つまり、団長の恋人メアリ・ハドソンは、WASPであることを示唆しています。
そして、移民の子息である団長と、マジョリティであるWASPの彼女との恋愛模様がどうなっていくのかが、描かれていきます。
さらには、団長や少年たちにどのような人生が待ち受けているのか。
「笑い男」の結末に呼応していることを考えると、良く解るのではないでしょうか。
サリンジャーが言いたかったこと。
「笑い男」の舞台となる1928年は、1929年の大恐慌の前年。
つまり、翌年には、失業者が溢れ多くの国民が貧しい生活を余儀なくされます。
特に労働者階級の人々は、仕事を失い路頭に迷うこととなります。
すべては、「狂乱の20年代」でバカ騒ぎをした愚かな大人たちの蒔いた種です。
そして、最もひどい目にあったのは、何の罪もない子供たちなのです。
サリンジャーの作品は、江戸川乱歩の作品の様にロジックを積み上げて行って理詰めで読者を導いてくれて、最期の結末を導き出すという類のものではありません。
江戸川乱歩の作品は、読者に独自解釈の余地を許しません。
サリンジャーの作品は、象徴的なワードやエピソードをちりばめていき、訴えたいことを浮かび上がらせ、読者に「もしかして、そういうこと?」と想起させるようになっています。
それゆえ、難解だと言われるのでしょう。
それに加えて、日本人にとって、厄介なのは、アメリカの文化的な背景が解らないという点です。
アメリカ人ならば誰でもが知っている「コマンチ」「狂乱の20年代」「WASP」などの文化的な背景知識が日本人にはなじみが無いのです。