読書会情報はコチラ

オンライン読書会のコミュニティ「本コミュ読書会」

川端康成『古都』の本当の味わい方を解説|風景描写に潜む、読み解くヒントとは何か。

川端康成『古都』の本当の味わい方を解説|風景描写に潜む、読み解くヒントとは何か。

掲載日: 2026年04月05日

あなたがある日、自分とそっくりな人物と出会ったとします。
まるで違う境遇です。
あなたは、ゆとりある生活ができる由緒正しい家柄。
かたや貧しい暮らしをしていると思しき様子。
その人物が、生き別れになった双子の姉妹だったと知った時、
あなたは、その人物にどう接しますか?
川端康成『古都』は、そんな数奇な運命を描いた名作です。

そして、もう一つ大事なことがあります。
実は、川端康成の小説には読み方のコツがあるのです。
この記事では、川端作品の味わい方の秘密を解説していきます。

『古都』は、こんな小説です。

『古都』は、1961年(昭和36年)から1962年(昭和37年)までの一年間に渡って、『朝日新聞』に連載された長編小説。

以下のように、9つの章に分かれています。
「春」の章
「春の花」「尼寺と格子」「きものの町」

「夏」の章
「北山杉」「祇園祭」

「秋」の章
「秋の色」「松のみどり」「秋深い姉妹」

「冬」の章
「冬の花」

川端康成は、第二次世界大戦の戦火で失われた日本の様子を見ているうちに、日本の美を描こうと心に決めました。
そんな決意のもと描かれた作品が『古都』です。
それゆえ、春夏秋冬-四季折々の京都の風物を通して日本の美しさが描き出されています。

『古都』のあらすじ。

物語の舞台は、戦後間もない頃の京都。
呉服商の家で大切に育てられた娘・千重子の物語です。女学生の千重子は自分が実の子ではなく、捨て子だったと薄々感じています。
そんなある日のこと、山の村で自分とそっくりな娘・苗子に出会い、祇園祭で再会する二人。
千重子は双子の姉妹ではないかと考えるようになります。
二人には、どんな運命が待ち受けているのでしょう・・・。

『古都』を読む前に知っておいた方が良いこと。

川端康成の書く小説は、まるで別人が書いたかのような、異なる二種類に分けられます。
一つは、シュールリアリズム的手法で描かれた難解な作品。
『水晶幻想』や、『抒情歌』が代表作です。かなりグロテスクです。

もう一つは、まるで美しい絵画を観ているかのように描かれた作品。
ストーリーもわかりやすく、映画でも見ているかのように、すっと頭に入ってきます。
『伊豆の踊子』や、『雪国』、そして『古都』が、その代表作です。

「映画でも観ているかのように」と言ったのは比喩でも何でもありません。
まさに映画のような効果があるのです。
風景描写が、登場人物のキャラクターや心象風景を表現しているのです。

ストーリーをただ漫然と追っていては、本当の面白さは味わえません。
風景描写を読む際は、しっかりと頭の中にイメージを浮かび上がらせながら読んでみてください。
登場人物の人物像あるいは、心の動きを見事に表現していることが判るはずです。
では、どのように表現されているのかを、具体的に見ていきましょう。

『古都』を解説します。

「春の花」

この章では、主人公、千重子の人物像が描かれています。
この章を読み込むことで、千重子がどういう境遇にあって、どんな性格なのかが、浮かび上がってくるようになっています。
この後の章に感情移入できるかどうかがかかっていまます。
大事な章なので、全ての文章の意味を心に刻むつもりで、読み込んでいきましょう。

冒頭で描かれるのは、庭にあるもみじの古木の様子。

大きく曲がる少し下のあたり、幹に小さいくぼみが二つあるらしく、そのくぼみそれぞれに、すみれが生えているのだ。そして春ごとに花をつけるのだ。千重子がものごころつく頃から、この樹上ふた株のすみれはあった。
(中略)
「上のすみれと下のすみれとは会う事があるのかしら。お互いに知っているのかしら。」と思ってみたりする。
川端康成『古都』/新潮文庫より

この文章を最初に読んだときは、いったい何を言っているんだと思いました。
上のすみれと下のすみれとは会う事があるのかしら」って、どういうことなんでしょう。

でも、少なからず、読んでいる人に、ふたつのすみれの花が印象付けられているのではないでしょうか。

はかなく、咲いているふた株のすみれの花。
ここでは、それが心に残れば十分なんです。最後まで読んだ後で、この文章の意味がはっきり分かることでしょう。

次に描かれるのは、すみれの下にある燈籠に刻まれた立像。
千重子はマリアさまだと思っていたが、父がこういいます。

「これはキリストやそうな。」と、父はあっさり言った。「赤子抱いていやはらへん。」
川端康成『古都』/新潮文庫より

「赤子は抱かれてはいない」この意味深な文章。
これも、後になって意味がわかってきます。

さらに描かれるのは、千重子が飼っている鈴虫のこと。

狭く暗い壺の中で、生まれ、鳴き、卵を産み付け、死んでゆく。それでも種の保存はするから、なるほど、籠で飼う、短い命の一代きりよりいいかもしれないが、全く壺中の一生であり壺中が天地である
川端康成『古都』/新潮文庫より

狭い世界で生きるしかない鈴虫。哀しい運命が伝わってきませんか?
しかも、こんな描写もあります。

鈴虫たちは、もちろん、浮世をいとうて、壺の中に入ったわけではない。壺の中に居るとも、恐らくは知らないであろう。
川端康成『古都』/新潮文庫より

千重子が、何やら由々しき運命の渦中にいることを予感させるような描写です。

さて、場面は変わり幼馴染の青年、水木真一と花見に出かけた様子が描かれます。
平安神宮の神苑に咲き満ちた桜が、千重子と重なってきます。
華やかなイメージです。

そして、夕もやがたち込めるころ、清水寺に来た二人。
ここから、雰囲気が変わってきます。

見物の人は、女子学生が3,4人しか残っていなかった。もうその顔もさだかには見えない。
(中略)
奥闇の本堂には、灯明がともっている。
(中略)
町は灯りがつき、しかも、薄明るさを残していた。
川端康成『古都』/新潮文庫より

風景描写によって、徐々に重苦しくなっていく印象を受けませんか?
そして、千重子はこう打ち明けます。

「あたしは捨て子どしたんえ。」
川端康成『古都』/新潮文庫より

ここでも風景描写が、見事に千重子の心の動きを描き出しています。

「尼寺と格子」

この章では、千重子の父親の人物像が描かれています。
この章を読み込むことで、千重子の父親がどういう境遇にあって、どんな性格なのかが、浮かび上がってくるようになっています。

冒頭はこんな文章で始まります。

千重子の父の佐田太吉郎は三四日前から嵯峨の奥にかくれた尼寺に隠してもらっていた。
川端康成『古都』/新潮文庫より

なんだかのっぴきならない境遇に置かれていることが伺えます。
太吉郎は、呉服問屋の主ですが、反物の図案を書くことにこだわりがあるようです。
職人気質ではなく、言ってみれば芸術家なのです。
ところが、商売の方は無頓着で経営は傾いているようです。

そのため、居場所が無くなったのでしょう、尼寺にいるのです。
そのことが伺える描写があります。

太吉郎は店でもキリシタン灯籠のある中庭の、座敷の奥まった窓辺に机を置いて半日も座っていることがある。
川端康成『古都』/新潮文庫より

ここで、前の章で描かれていた「キリシタン灯籠」の描写を思い出してください。
こんな風に描かれています。

昔は信仰のしるしであったか、昔の異国風の飾りであったかのキリシタン灯籠が、今はただその古さびのために、千恵子の店の庭でも、もみじの古木の根かたに置かれている。(中略)
商用の客には大もみじの影の、くすんだ灯籠など気の付く人は稀だった。気がついたところで、庭に灯篭の一つや二つは当たり前でよく見もしない。
川端康成『古都』/新潮文庫より

忘れられて打ち捨てられている「キリシタン灯籠」と「太吉郎」が重なって見えてきませんか?

さて、そんな父親の太吉郎を尋ねて千重子がやってきます。
太吉郎の図案の着物を着ている千重子。
お互いを想い遣る父と娘の関係が描かれています。

ここまでのわずかな文章ですが、風景描写の持つ意味が判っていただけたでしょうか。
ここから先も、ぜひ、風景描写をじっくりとイメージしながら読み込んでください。

現在募集中の読書会イベント