太宰治「きりぎりす」は、これから辿るであろう自分の人生、そして自分への戒めを描いているのだろうか。
- 日本文学
掲載日: 2023年09月09日
太宰治「きりぎりす」は、こんな作品です。
「きりぎりす」は、1940年(昭和15年)に、文芸雑誌「新潮」に掲載された短編小説。
太宰治、30歳の時の作品です。
この作品の主人公は、5年間連れ添った夫に別れを告げる妻。
別れるに至る心境の変化を、夫に向けた独白で綴られています。
太宰が得意とする「女性の一人語り」の作品です。
この作品の巧みなところは、文章の構成です。
読み始めの頃は、語り手である妻の気持ちに共感できません。
家族や親せきから大反対されながらも、なぜ強引に結婚を進めてしまったのかが解らないのです。
それが読み進めるうちに、結婚に至る理由が次第に解き明かされていきます。
そして、読み始めの頃、あれほど共感できなかったはずなのに、彼女が別れようという心情になってしまったことに、いつの間にか、いたく共感できてしまうのです。
この構成力の巧みなこと。太宰の文章力に酔いしれてください。
太宰治「きりぎりす」を解説します。
冒頭で、妻である「わたし」が、夫に別れを宣告します。
おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。
(中略)
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
きっと、この世では、あなたの生きかたのほうが正しいのかも知れません。けれども、私には、それでは、とても生きて行けそうもありません。
このような疑問が投げかけられます。
妻である「わたし」には、何か釈然としないものがあるようです。
読んでいる私たちも当然ながら、釈然としません(;^_^A
この文章を、よく覚えておいてください。結末にまた登場します。
ここから、この釈然としない「何か」が、描き出されていきます。
まずは、結婚に至った経緯が語られていきます。
私が、あなたのところへ参りましてから、もう五年になります。十九の春に見合いをして、それからすぐに、私は、ほとんど身一つで、あなたのところへ参りました。今だから申しますが、父も、母も、この結婚には、ひどく反対だったのでございます。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
家族からは、結婚に大反対されていたのです。
どうしてかというと、この男の素性があまりにもだらしないからです。
瀬戸内海の故郷から、親にも無断で東京へ飛び出して来て、御両親は勿論、親戚の人ことごとくが、あなたに愛想づかしをしている事、お酒を飲む事、展覧会に、いちども出品していない事、左翼らしいという事、美術学校を卒業しているかどうか怪しいという事、その他たくさん、どこで調べて来るのか、父も母も、さまざまの事実を私に言い聞かせて叱りました。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
なんだか太宰治本人としか思えません(;^_^A
おまけに「わたし」には、その当時、縁談が二つもありました。
おひとりは、何でも、帝大の法科を出たばかりの、お坊ちゃんで外交官志望とやら聞きました。お写真も拝見しました。楽天家らしい晴やかな顔をしていました。これは、池袋の大姉さんの御推薦でした。もうひとりのお方は、父の会社に勤めて居られる、三十歳ちかくの技師でした。五年も前の事ですから、記憶もはっきり致しませんが、なんでも、大きい家の総領で、人物も、しっかりしているとやら聞きました。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
とても条件の良い縁談ですが、「わたし」は、拒絶しています。
それは、こんな理由からです。
そんなおかたと結婚する気は、まるっきり無かったのです。みんなの言う様に、そんな、申しぶんの無いお方だったら、殊更に私でなくても、他に佳いお嫁さんが、いくらでも見つかる事でしょうし、なんだか張り合いの無いことだと思っていました。この世界中に(などと言うと、あなたは、すぐお笑いになります)私でなければ、お嫁に行けないような人のところへ行きたいものだと、私はぼんやり考えて居りました。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
「わたし」は、自分の存在価値にこだわっていたのです。
これは、イプセンの「人形の家」に通じるテーマです。
今まで愛されていたと信じて疑わなかった妻が、ある事件がきっかけで、自分はひとりの人間としてではなく、波風を起こさない「人形」として、愛されていたことに気が付くという物語です。
さて、そんな「自分にしか価値が見いだせないであろう男」のもとに嫁ぎます。
淀橋のアパートで暮した二箇年ほど、私にとって楽しい月日は、ありませんでした。毎日毎日、あすの計画で胸が一ぱいでした。あなたは、展覧会にも、大家の名前にも、てんで無関心で、勝手な画ばかり描いていました。貧乏になればなるほど、私はぞくぞく、へんに嬉しくて、質屋にも、古本屋にも、遠い思い出の故郷のような懐しさを感じました。お金が本当に何も無くなった時には、自分のありったけの力を、ためす事が出来て、とても張り合いがありました。だって、お金の無い時の食事ほど楽しくて、おいしいのですもの。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
幸せな時間は長くは続きません。夫は画家として売れていくのです。
あなたが急にお偉くなって、あの淀橋のアパートを引き上げ、この三鷹町の家に住むようになってからは、楽しい事が、なんにもなくなってしまいました。私の、腕の振いどころが無くなりました。あなたは、急にお口もお上手になって、私を一そう大事にして下さいましたが、私は自身が何だか飼い猫のように思われて、いつも困って居りました。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
まさに、イプセンの「人形の家」を彷彿とさせます。
面白いことに、夫が成功していくにつれ、それまで、あれほど夫を毛嫌いしていた家族一同が、夫にすり寄ってくるのです。
そこで、冒頭の問いかけが意味を持ってきます。
きっと、この世では、あなたの生きかたのほうが正しいのかも知れません。けれども、私には、それでは、とても生きて行けそうもありません。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
「わたし」が正しいと思うものと、「世間」が正しいと思うものが違っていることに気が付きます。
「わたし」は、夫を「無垢なるもの」として価値を見出していたのです。
ところが、絵が売れていくにつれ、夫は「俗なるもの」に変貌していきます。
そして、画家として売れっ子になった夫の声がラジオから聞こえてきます。
私が茶の間で夕刊を読んでいたら、不意にあなたのお名前が放送せられ、つづいてあなたのお声が。私には、他人の声のような気が致しました。なんという不潔に濁った声でしょう。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
「わたし」にとって、夫は「無垢なるもの」ではなくなっています。
夫の声は「不潔に濁った声」になっています。それゆえ、別れることにしたのです。
夜寝ていると、清らかな虫の声がします。
不潔で濁った夫の声との対比です。「わたし」は、こんな思いを巡らせます。
背筋の下で、こおろぎが懸命に鳴いていました。縁の下で鳴いているのですけれど、それが、ちょうど私の背筋の真下あたりで鳴いているので、なんだか私の背骨の中で小さいきりぎりすが鳴いているような気がするのでした。この小さい、幽かな声を一生忘れずに、背骨にしまって生きて行こうと思いました。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
ここで、ようやく、タイトルになっている「きりぎりす」がでてきます。
きりぎりすは、太宰治が敬愛してやまない芥川龍之介の代表作「羅生門」の冒頭と最後に登場します。
この世の儚さ、荒涼としたさまを表すモチーフとして。
そして、最後に、冒頭で投げかけられていた疑問が、再び登場します。
この世では、きっと、あなたが正しくて、私こそ間違っているのだろうとも思いますが、私には、どこが、どんなに間違っているのか、どうしても、わかりません。
太宰治「きりぎりす」(青空文庫)
どうです、見事な文章の構成でしょう。
「きりぎりす」を執筆した時の太宰治の状況。
太宰治が「きりぎりす」を執筆したのは、1940年(昭和15年)。30歳の時です。
念願だった芥川賞に落選し、まだまだ駆け出しの頃です。
太宰治は、2年前の1938年に結婚をしています。それも、師と仰ぎみる井伏鱒二の紹介による縁での結婚です。
この時に太宰は、井伏鱒二に「結婚誓約書」なるものを認めています。
これまでの破滅的な生活を止め、家庭を守ることを誓ったのです。
新居を三鷹市に構え、ようやく安定した心持ちで生活を送り始めています。
それに呼応するかのように、「富岳百景」「走れメロス」そして「女生徒」などの、とても清々しい傑作を執筆しています。
結婚をし、住居を三鷹に構え、作品を次々に執筆する男・・・。
これは、まさに「きりぎりす」の画家に重なってきませんか?
作品が売れてお金が入ってもこんな風にはなるまい、という自分への戒めを込めているように思えてなりません。
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