川端康成「禽獣」は、川端康成の願望が具現化された世界を描いた作品なのだろうか。
- 日本文学
掲載日: 2024年08月03日
「禽獣」は、1933年(昭和8年)、雑誌『改造』7月号に掲載された中編小説。人との交流を毛嫌いし、常に小鳥などの小動物を傍において愛でる男の物語。
川端康成の代表作の一つです。
そもそもタイトルの「禽獣」とは何か。
「鳥や獣」を意味するのですが、一方で「恩義を知らず、卑劣な行いをする者」を意味します。
それを踏まえて読みすすめると合点がいくかと思います。
読後感が悪いことだけは覚悟してください(;^_^A。
冒頭はこんな文章で始まります。
「小鳥の鳴き声に、彼の白日夢は破れた」
主人公がどんな状況に置かれているかが一文で解ります。
主人公は、知人の舞踊を観に出かけるのですが、タクシーの中でハタと我に返るのです。
読む人の「感覚」を呼び覚ます名文です。
「雪国」に勝るとも劣らない実に見事な書き出しです。
この作品の文章を構成する単語をよく注意して見ると、「葬いの自動車」「小鳥の死骸」「毒々しい青い家」「しなびた蜜柑のようになった犬屋」といった不気味な単語が並んでいます。
その単語で紡ぎだされるのが、おぞましいエピソードの数々。
作品の世界観が緻密に作り上げられています。
主人公は女中を伴って舞踏を見に出かけるのですが、そこには「小さな女中」とあります。
なぜ「小さな」と敢えて言っているのでしょう。
主人公の周りにいるのは、数々の小動物。
踊り子の千佳子。
そして、最後に出てくる16歳で亡くなった少女。
これらの共通点は、人形の様に自分の意のままになるもの。
女中すらも「小さな」存在にしたいのでしょうか。
川端康成は、幼少期に肉親を次々と亡くし、さらに結婚を約束した女性からは婚約を反故にされています。
求めてきたものが失われていく辛い体験です。
なぜ、この作品で自分の想いのままになる人形のような存在を描いているのか。
川端康成の体験を踏まえると、わかるような気がしませんか。