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朗読コンテンツ02ー泉鏡花「絵本の春」

朗読コンテンツ02ー泉鏡花「絵本の春」

掲載日: 2022年08月20日

本コミュ読書会のメンバーによる朗読コンテンツの第二弾は
泉鏡花の「絵本の春」です。

この作品は、1926(大正15)年に「文藝春秋」に発表された、泉鏡花が53歳の時の作品。
主人公が、子供の頃に読んだ不思議な絵本にまつわるお話です。

絵本」というと、多くの人が思い浮かべるのは
親が子供に読み聞かせる、何かためになる物語、といったとこでしょうか。

でも、泉鏡花が描く絵本は、ただの絵本ではありません。
絵本の物語が、得体の知れないものだったら?
読み聞かせをしている者が、魔性の者だったら?
というお話です。

本文には、意味の分かりにくい表現が出てきますので
少し解説しておきます。

霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く

冒頭、この物語の舞台となる小路の様子を描く文章があります。

狭い小路が、霞みながら一条煙のように、ぼっと黄昏れて行く

明治の頃は、現代と違って、街のそこかしこに街灯があるわけではありません。
夜になるとほぼ真っ暗になることでしょう。

それを踏まえてこの文章が描いている光景を想像すると、
日が暮れるにつれ、小道が見えなくなっていく様を
一筋の煙がかすんでいく様になぞらえているわけです。

とても雅な表現です。

漫々として波の静かな蒼海に、船脚を曳いたように見える

もう一つ、黄昏時が過ぎて夜になっていく様を描く文章があります。

「門も、欄も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、ただ一条、古小路ばかりが、漫々として波の静かな蒼海に、船脚を曳いたように見える」

暗くなるにつれ、自分の影さえも見えなくなってくるが、
小路だけが船が通った後のように見えている、というのです。

雅ですねぇ。

緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる

うら寂しい小路に、そぞろ歩く人々の気配がし、ふと女性の声が聞こえてくる様をこんな風に表現しています。

幽かに人声――女らしいのも、ほほほ、と聞こえると、緋桃がぱッと色に乱れて、夕暮の桜もはらはらと散りかかる

女性の声がするだけで、パッと真っ赤な桃が現れ、
桜がはらはらと舞っているような心持ちになる、と言っています。
なんとも美しい・・・。

桃の一枝であろうも知れない

木戸に「貸本」と、読める紙を見ている子供。
それは「幻かもしれない」ということをこんな風に表現します。

紙が樹の隈を分けた月の影なら
字もただ花と蕾を持った、桃の一枝であろうも知れない

紙と見えるのは月の影かもしれない。
文字も桃の枝がそう見えるだけなのかもしれない、と言っています。

複雑で優美な表現ですねぇ。

巳巳巳巳、巳の年月

この物語は、無残に殺められた女の復讐を描いています。
どういう女かと言いますと

巳巳巳巳、巳の年月の揃った若い女」とあります。

生まれた年や月日時刻が「巳」の 揃った  女と言っているのです。
へび年、4月、巳の日、巳の刻に生まれた女、というわけです。

逢魔が時

泉鏡花が好んで使う「逢魔が時」。
いったいどんな時なのでしょう。

これは、太陽が隠れて、夜になる時間帯を指します。
暮六つ、酉の刻、今でいうところの午後5時から7時ころ。
現代と違って、江戸時代以前は、夜には明かりもなく真っ暗になります。

次第に薄暗くなる時間帯なので
妖怪などの魑魅魍魎が跋扈すると思われていたのでしょう。

草双紙

美しいお嬢さんが幼子に見せる「草双紙
絵解えときをしてあげますか……読めますか」という下り。

この「草双紙」こそ、題名にある「絵本」のこと。
幼子に母が話して聞かせる様を「絵解き」といいます。
そんな草双紙に「描かれているもの」とは何か、 これが判ると、ぞっとすることでしょう。

泉鏡花「絵本の春」朗読本編

そんなこんなを、
「朗読」と「文字アニメーション」で表現してみました(;^_^A

泉鏡花「絵本の春」解説編

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