異常な状況を主観的に体感できる、横光利一「機械」
- 日本文学
掲載日: 2022年09月25日
「機械」は、1930年(昭和5年)に雑誌『改造』9月号に掲載された短編小説。
改行や句読点が排除された実験的な作品です。
読書会の課題図書として、読み込みましたが、
好き嫌いが分かれそうな小説ゆえ、かなりハードルが高い作品だと思います。
住み込みで、とあるネームプレート製作所で働く主人公「私」。
仕事柄、危険な薬品を日常的に扱うことを余儀なくされている。
どんな薬品かというと
「金属を腐蝕させる塩化鉄で衣類や皮膚がだんだん役に立たなくなり、臭素の刺戟で咽喉を破壊し夜の睡眠がとれなくなるばかりではなく頭脳の組織が変化して来て視力さえも薄れて来る」
この状況を、横光利一はこんな風に表現しています。
「全く使い道のない人間というものは誰にも出来かねる箇所だけに不思議に使い道のあるもので、このネームプレート製造所でもいろいろな薬品を使用せねばならぬ仕事の中で私の仕事だけは特に劇薬ばかりで満ちていて、わざわざ使い道のない人間を落し込む穴のように出来上っているのである」
つまり
「こんな危険な穴の中へは有用な人間が落ち込む筈がない」と思っているのです。
そんな境遇にも拘らず、真摯に仕事に取り込む「私」は、
ひと際高度な「黒色を出す研究」を任されるようになります。
そして、私は、それまで主人以外は誰も入ることが許されなかった暗室へ自由に出入りする権利を得る。
先を越されたと感じる先輩社員である軽部は、私を憎むようになり
ここから、ドロドロした人間模様が繰り広げられることとなるのです。
そういった人間の暗部にある心理を描く文章は、
物語の筋、セリフが連続して書き出されていき、改行もなく、句読点も排除されています。
一見すると、ひどく稚拙な文章にも見えます。
が、よく考えてください。
全ては「私」の一人称で描かれており、
その「私」は、脳に異常をきたしてしまう劇薬に侵されています。
いわゆる「信頼のおけない語り部」になっているのです。
この文章を読むと、読み手は、状況の異常さが嫌でも実感できるようになっています。
それを踏まえると、
時折出てくる、意味がよくつかみかねる、
まるで夢の中での出来事のような文章も合点がいきます。
例えば、軽部と言い争いをした際に逆上した軽部は、
「それよりお前の顔を磨いてやろうといって横たわっている私の顔をアルミニュームの切片で埋め出し、その上から私の頭を洗うように揺り続ける」
このわけのわからなさと言ったら・・・(;^_^A
ぜひとも、実際にこの作品を読み、
その尋常ではない文章の異常さを体感してみてください。
私は、読書会でこの作品が課題図書に指定されていたおかげで
何度も読み込みました(;^_^A