フランツ・カフカ「判決」は、自らを罰する自責の念なのだろうか。
- 海外文学
掲載日: 2023年04月17日
「判決」は、1913年に発表された短編小説。
生前に発表された数少ない作品の一つです。
さらに1916年には、独立した本として出版されています。
ということは、カフカとしては「判決」を重要な作品とみなしているわけです。
カフカは、1912年に4歳年下のユダヤ人女性フェリーツェ・バウアーと出会います。
カフカは、彼女と手紙のやり取りをし、親しい間柄になり、婚約をすることになるのです。
「判決」は、その手紙のやり取りを始めた直後に執筆されています。
そして、冒頭には「フェリーツェ・バウワーのための物語」と記載されています。
どんなロマンチックな物語かと普通は想像してしまうのですが、その内容とは・・・。
「判決」のあらすじ。
主人公は、若き商人ゲオルグ。今、彼は手紙を書いている。
ロシアへ行って商売を始めた友人に、自分はある金持ちの女性と婚約したことを伝えるために。
その女性の名は、フリーダ・ブランデンフェルド。
書き終えた手紙を手にしたゲオルグは、父親の部屋へ向かう。
父親は母が亡くなってからというものふさぎ込んでいるようなのです。
ここから事態が予想外の方向へ行き始めます。
手紙のことを告げると、父親は言います。
「嘘はやめろ。お前にはロシアへ行った友達などいやしない」
父親をなだめすかしベッドへ寝かせるゲオルグ。
が、父親は毛布をはねのけ、激怒して言います。
「あのふしだらな女がスカートをまくり上げたせいだ。
許嫁とくっつきやがれ。わしが放り出してやる」
そして、こう言い放ちます。
「わしは今、お前に死を命じる。溺れ死ね!」
ゲオルグは駆け出し、こう言いながら橋から飛び降りるのです。
「お父さん、お母さん、ぼくはいつもあなた方を愛していました」
なぜカフカは「判決」を書いたのか。
「判決」を書く直前に、カフカは、フェリーツェ・バウワーに交際を発展させる旨の手紙を出しています。
その時のカフカの境遇はと言うと、役所の仕事が手いっぱいで、小説を書く時間の捻出に苦労している状態です。
女性と付き合うことでこれ以上時間を割くことはできない、と自責の念にとらわれていたのやもしれません。
それを踏まえると、「判決」を書くことで自責の念を吐露したとしても不思議ではありません。
フェリーツェ・バウワーと付き合おうとし始めている自分を罰しているかのようではないでしょうか。
とはいうものの、「判決」を読んだフェリーツェ・バウワーはいったいどんな心境だったのでしょう。
自分とイニシャルが同じ女性フリーダ・ブランデンフェルドが自分のことだと思うに違いありませんから。