JDサリンジャー「愛らしき口もと目は緑」は、華やかな大都市ニューヨークの虚栄を描いています。
- 海外文学
掲載日: 2023年10月15日
「愛らしき口もと目は緑」は、1951年、サリンジャーが32歳の時、文芸雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載された短編小説です。
妻が夜になっても帰ってこないと、電話をする男。彼は、妻の浮気を疑っている様子です。そして、電話で、愚痴を聞き続ける男。
ふたりの会話だけで物語が進み、やがて、のっぴきならない出来事が判明するのです。
「愛らしき口もと目は緑」を解説します。
「愛らしき口もと目は緑」は、かなり難解な作品です。
これまで読み解いてきた6つの作品とは、やや性質が異なります。
例えば、「バナナフィッシュにうってつけの日」は、執筆当時のアメリカの若者文化のことや「bananas」と言った単語から受けるアメリカ人の想起するイメージさえ解かれば、読み解くのは簡単です。
けれども、「愛らしき口もと目は緑」は、そうは問屋が卸しません。
文章に書かれていないことを推理していく必要があるのです。
たとえば、電話をかけてきた男がこんなことを言います。
「これからあんたのとこへ一杯やりに出かけて行っちゃいけないかね?」
このセリフの前後の文章を踏まえ、このセリフが「何を意味しているのか」をよーく考えてみると意外なことが浮かび上がってきます。
説明的な文章を書かずに、ある事実を想起させるサリンジャーの超絶技巧を味わうためにも、
一度と言わず、何度も読み込んでみてください。
アッと驚くこと、請け合います。
一文一文を丁寧に読み込んで、文章として描かれていない状況を読み取っていきましょう。
というわけで、冒頭から読んでいきましょう。
電話が鳴ったとき、白髪交じりの男は、女に少なからず気を使いながら、いっそ出ないでおこうか、と訊いた。(中略)白髪交じりの男に返事を急き立てられて、女は、おざなりにしているような印象を与えぬ程度の急ぎ方で、右腕を支えに状態を起こした。そして左手で額にかかった髪の毛を搔き上げると「さぁ、どうしたらいいかな。あなた、どう思う?」と、言った。
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
この文章から想像すると、電話が鳴ったときには「白髪交じりの男」と「女」はベッドに一緒にいるようです。
では、ここで出てきた「女」は何歳ぐらいでしょうか。
ボクは、最初、「白髪交じりの男」に引っ張られて年配の女性を想像していたのですが、原文では「the girl」となっています。なんと「少女、若い女」なのです。
そうなってくると、何やら不倫めいた感じがしてきませんか?
そして、女の目は「とても大きくて、色は紫と見まごうほどの深い青」です。
電話をしている男をこんな風に見つめています。
女はいわばアイルランドの若い碧眼の警官といった感じで男を見守っている。
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
碧い目をした聡明な女性なのです。
電話をかけてきた男の名はアーサー。
妻のジョーニーが出かけたきり帰ってこなくて、心配している様子です。
「おれにはどうも女房の野郎、台所でどっかの馬の骨にモーションかけたんじゃないかっていう気がするんだ。どうもそんな気がするよ。あいつ、酔っぱらうと、きまって台所でどっかの野郎といちゃつきやがるんでな。おれはもうご免だよ。本気だぜ。今度は。神に誓うよ。五年間も・・・。」
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
アーサーは、ジョーニーがとんでもなくふしだらな女で、もう五年も我慢しているんだというのです。
白髪交じりの男の名は、リー。
リーは、アーサーを落ち着かせようとしますが、アーサーは聞く耳を持ちません。
「うん。おれはもう分からなくなっちまった。悪かったよ。寝るのを邪魔しちゃって。おれみたいな奴は、咽喉でも掻き切って・・・」
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
にわかに自殺をもほのめかすようになっていくアーサー。
どうものっぴきならない事態になって来たようです。
やがて、ルーは、こんなことを話題にします。
「今日はどんな具合だった? 裁判さ。どうだった?」
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
「ああ、裁判か!さあね。ま、頂けないな。(中略)」
「それでどうなったんだ?敗訴か」
白髪交じりの男、ルーは弁護士。アーサーはその同僚です。
アーサーは担当している案件でへまをやらかしてしまったようです。
そのため、クライアントから首をほのめかされているのです。
そして、ここまで読み進めた方は気が付いたことでしょう。
ルーの隣にいる女は、アーサーの妻ジョーニーだということが伺えます。
アーサーは、ジョーニーと出会った頃のことを話し始めます。
「二人でデートし始めたころにおれがあいつに書いて送った詩のことを、ふと考えたりしちまうんだよ。『肌白く、薔薇色の頬。愛らしき口もと目は緑』全くどうもきまりの悪い話だけどさ」
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
アーサーは「目は緑」と詩にしましたが、ジョーニーの目は、青い色をしています。
アーサーには、ジョーニーの本当の姿が見えてはいないのです。
碧眼の目をした聡明な女性、しかもイケオジであるリーと恋仲になるくらいですから、きっと「いい女」なのでしょう。
そんな女性を誰とでも浮気をする「とんでもなくふしだらな女」だと罵るのです。
ジョーニーが浮気をしてしまう原因が、どうもそこにあることが伺えます。
アーサーは、こんなことを切り出します。
「これからあんたのとこへ一杯やりに出かけて行っちゃいけないかね?」
「愛らしき口もと目は緑」(新潮文庫)
白髪まじりの男は背中を伸ばし、空いている方の手で頭の天辺をおさえた。
アーサーは、ジョーニーが、ルーと一緒にいると薄々気が付いているのでしょう。
脅すようなことを言い出しました。
それを聞いたルーは、動揺を隠せない様子です。
さぁ、ここまでの状況を読み取ることができれば、ここからラストまでの展開がストンと腑に落ちるのではないでしょうか。
なぜ、アーサーは、ジョーニーが帰ってきたと言ったのか。
ルーの真意がどこにあるのか。
そして、ラスト三行のルーの行動も納得がいくことでしょう。
サリンジャーが言いたかったこと。
サリンジャーは、華やかな大都市マンハッタンのど真ん中で暮らし、そこで暮らす人々の悲哀をつぶさに見ています。
サリンジャーは、そんな若者の行動をスケッチした作品が多々あります。
この「愛らしき口もと目は緑」も、マンハッタンに暮らす若者のスケッチです。
5年間も連れ添ったジョーニーに愛想をつかされたアーサー。
弁護士という誰もがうらやむ仕事に就いていますが、すべてを放り出してコネチカットへ行きたいと言っています。
それどころか、戦場に行きたいとまで言うほどになっています(;^_^A
華やかな暮らしの裏には、息が詰まるような人間関係で溢れているのではないでしょうか。
愛する女性に裏切られたサリンジャー自身の体験と重なってくると思いませんか。