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芥川龍之介「戯作三昧」は、作者自身の苦悩を描いているのだろうか。
- 日本文学
掲載日: 2022年09月04日
「戯作三昧」は、1917年(大正6年)に大阪毎日新聞に連載された小説。
芥川龍之介が25歳の時の作品です。
江戸時代の戯作作家、滝沢馬琴の創作への迷いを描いています。
芥川龍之介は、この時期は芸術至上主義の作品を書いていて
翌年には、芸術至上主義の傑作「地獄変」を発表しています。
老作家、銭湯で酷評さる。
一人の老人が、神田の銭湯に入っているところから、この物語は始まります。
湯船につかっていると。人々の話し声が聞こえてきます。
どうやら、世間で流行りものの戯作のことを話しているようです。
「馬琴なんぞの書くものは、みんなありゃ焼き直しでげす。
早い話が八犬伝は、手もなく水滸伝の引き写しじゃげえせんか。
そりゃまあ大目に見ても、いい筋がありやす。
でも、まるで腹には、何にもありやせん。
そこへ行くと、十返舎一九はたいしたものでげす。
書くものには天然自然の人間が出ていやす。」
この会話を聞いた老人は、いたたまれなくなって銭湯を後にします。
この老人は、「南総里見八犬伝」を、今まさに書いている曲亭馬琴その人なのです。
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老戯作家、曲亭馬琴、ひとり悩む・・・。
銭湯から戻って一人寂しく家にたたずむ馬琴。
ふと、思案してしまいます。
自分の描きたいものをとことん書くべきか・・・。
そうなってくると、悪評もあるやもしれず、世間の評判もきになる。
世間様が喜ぶものを書くべきか・・・。
そこへ友人である画家、渡辺崋山がやってきます。
見れば風呂敷包みのほかにも紙に巻いた絵絹らしいものを持っている。
「お暇なら一つ御覧を願いましょうかな。」
そして紙の中の絵絹をひらいて見せた。
まぎれもない芸術作品を目にし、馬琴の心には何が芽生えたのでしょうか。
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曲亭馬琴、迷いから自分を取り戻す。そのきっかけとは。
書きかけの「里見八犬伝」を前にして、さてどうしたものかと悩む馬琴。
そこへやってきたのは、孫の太郎。
馬琴の迷いを払しょくする太郎との問答が素晴らしい。
ここは、ぜひ原文を読んでみてください。
当時の小説の正しい在り方は「脚色はせずにありのままを正直に描く」という
日本独自の自然主義でした。
作家の人生をありのままに描くと、必然的に暗く、絶望的な作品になってきます。
芥川龍之介は、それに異を唱え、創作を存分に加え、面白い作品を書いていきます。
が、晩年は、私小説的な自然主義作品を書くようになっていくのです。
ということは、この「戯作三昧」は、
芥川龍之介自身の苦悩が描かれているのか?と思えてくるのです。
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