JDサリンジャー「エズミに捧ぐ-愛と汚辱のうちに」は、人生の選択肢が持つ残酷さを描いています。
- 海外文学
掲載日: 2023年10月08日
「エズミに捧ぐ」は、1950年、サリンジャーが31歳の時、文芸雑誌「ザ・ニューヨーカー」に掲載された短編小説です。
ある従軍兵が戦地に赴く前に、一人の少女と出会います。
戦いの最中に重篤な障害を覆る兵士。
戦争が終わり、療養中の兵士が少女からの手紙で心の平静を取り戻して物語です。
ただし、実際はそんな単純なお話ではなくて、とても巧みに構成された作品なので、覚悟してください(;^_^A
「エズミに捧ぐ」を解説します。
サリンジャーの作品に共通して描かれているテーマは「若者の苦悩」です。
それも、大人が造り上げたインチキな世界のために苦しむ若者の姿です。
それを、自らの体験を交えて、告白をするかのように描き出します。
そこを踏まえて、冒頭から読んでいきましょう。
つい先日私は、航空便で、ある結婚式への招待状を受け取った。式は四月十八日にイギリスで行われるという。
「エズミに捧ぐ」(新潮文庫)
語り部である「私」が結婚式の招待状を受け取るところからこの物語は始まります。
「私」は、六年前に花嫁と知り合ったのです。
私は、花嫁について、六年ばかり前に彼女を知ったときの秘話を少々、あえて紹介に及んだような次第である。(中略)私が披露したエピソードによって、しばしばの胸騒ぎを覚えたとしたら、なおさら結構。この際、誰も他人を喜ばせることを狙ってなんかいやしない。教化すること、啓蒙すること、むしろそっちが本当の狙いなのだ。
「エズミに捧ぐ」(新潮文庫)
諸般の事情により結婚式に出席はできないけれど、花嫁と知り合った時のエピソードを手紙に書いて送ったというのです。これが「エズミに捧ぐ」ものです。
そして、そのエピソードで皆を喜ばせようなんて思ってもいないと言っています。
そして、「教化する」なんて言っています。
なんだか、不穏な空気が漂ってきませんか?
でも、原文だと以下のようになっています。
If my notes should cause the groom, whom I have not met, an uneasy moment, so much the better.Nobody’s aiming to please,here. More,really, to edify, to instruct.
ニュアンスがだいぶん違います(;^_^A
「花婿に居心地の悪い思いをさせたら、それに越したことはない。皆を喜ばせようなんてつもりもないし、教育するつもりもなければ指導するつもりもさらさらない。」
こちらの方が私にはしっくりきます。
「愛」のエピソード
「私」は、新婦との思い出を語り始めます。
この部分が、「愛」(with Love)に相当します。
それは、1944年のこと。第二次世界大戦の真っただ中。
「私」は、イギリスで従軍しており、ノルマンディ上陸作戦をまじかに控えているときでした。「私」は、とある教会で児童合唱隊の練習を見ていました。そして、美しい歌声の少女に目が留まったのです。
教会からの帰りに立ち寄ったカフェで、その少女と再び会い、言葉を交わします。
少女の名は「エズミ」。小説家であることを話すと、エズミは興味を示します。
「いつでもよろしいのですけど、わたしだけのために、短編をひとつ書いてくださったら、とてもうれしいんですけど。わたし、ご本が大好きなんです」
「エズミに捧ぐ」(新潮文庫)
(中略)
彼女はちょっと考えていたが「どちらかといえば、汚辱のお話が好き」と、言った。
こんな約束を交わして、二人は別れます。
「汚辱」のエピソード
そして、その一年後。
この部分が、「汚辱」(with Squalor)に相当します。
戦争は終わりましたが、「私」は戦争のさなかに受けた「何か」で重篤な病に苦しんでいます。指は絶え間なく震え、歯茎を舌の先でちょっと押しただけで血が流れ出し、本を読んでもほとんど理解できないような状態です。
PTSDや鬱病とはまるで違う、さらに重篤で深刻な有様が綴られていきます。
そんな最中、「私」は、封も切らずに放置していた小箱に気が付きます。
それは、エズミからの手紙です。
その手紙を読んだ「私」はどうなるのでしょうか。
そして、冒頭へと繋がってゆくのです。
サリンジャーが言いたかったこと。
この物語の主人公は、従軍してイギリスにやって来たアメリカ人。
そして、諜報部に属し、その後、ノルマンディ上陸作戦に参加します。
まさにサリンジャーと同じ人生を歩んでいます。
サリンジャーは、多くの作品で、自分もまかり間違えばこのような運命になっているかもしれない、という人物を描いています。
「エズミに捧ぐ」の主人公は、ガスマスクを捨ててしまったばかりに、取り返しのつかないひどい目にあってしまいます。
そんな戦争の不条理な悲惨さを浮かび上がらせているのではないでしょうか。