太宰治「地球図」には、描くべく明確な意図があります。
- 日本文学
掲載日: 2022年11月02日
「地球図」は、1935(昭和10)年に、雑誌「新潮」12月号に掲載された短編小説。
最初の短編集「晩年」に収められています。
新井白石の著作である「西洋紀聞」や「采覧異言」を基に書かれた宣教師の物語、キリシタン物です。
時は、江戸時代。主人公はローマの宣教師ヨワン・バッティスタ・シロオテ。
日本に渡るため、日本のことを3年もの長きにわたって学ぶほどの敬虔な宣教師です。
苦労の末、日本にやって来た彼を待っていたのは迫害の日々です。
取り調べに当たったのは新井白石。
白石は、シロオテの知識に感銘を受け、交流を深めるも、
結局は、布教を行ったかどで、幕府からは厳しい沙汰が下ることとなるのです。
太宰治が、宣教師の物語(キリシタン物)を数多く書いた芥川龍之介に傾倒していたことも、少なからず影響していることでしょう。
が、しかし、太宰治には、この作品を書く明確な意図があったのです。
この作品には、太宰治自らが書いたこんな序文があります。
「拙作「ダス・ゲマイネ」は、此の國のジヤアナリズムより、かつてなきほどの不當の冷遇を受け、私をして、言葉通ぜぬ國に在るが如き痛苦を嘗めしむ。舌を燒き、胸を焦がし、生命の限り、こんのかぎりの絶叫も、馬耳東風の有樣なれば、私に於いて、いまさらなんの感想ぞや。すなはち、左に「地球圖」と題する一篇の小品を默示するのみ。もとより、これは諷刺に非ず、格言に非ず、一篇のかなしき物語にすぎず、されど、わが若き二十代の讀者よ、諸君はこの物語讀了ののち、この國いまだ頑迷にして、よき通事ひとり、好學の白石ひとりなきことを覺悟せざるべからず。「われら血まなこの態になれば、彼等いよいよ笑ひさざめき、才子よ、化け物よ、もしくはピエロよ、と呼稱す。人は、けつして人を嘲ふべきものではないのだけれど。」
つまり、自らの作品「ダス・ゲマイネ」への批判に対して、
いくら声高に行っても通じないだろう、
そのかわり、この「地球図」と題する作品で答える、
これが私の気持ちだ、と言っているのです。
生まれながらにしての物書きとしか言いようがないです。
作品としてのクオリティも高いです。
冒頭の文章からして、並みの作家が欠ける文章ではありません。
あまりに素晴らしいので、冒頭の文章をここに記載します。
この文章を読むだけで、どんな物語が始まるのか、読まずにはいられなくなるハズです。
「ヨワン榎は伴天連ヨワン・バッティスタ・シロオテの墓標である。
切支丹屋敷の裏門をくぐってすぐ右手にそれがあった。
いまから二百年ほどむかしに、シロオテはこの切支丹屋敷の牢のなかで死んだ。
彼のしかばねは、屋敷の庭の片隅にうずめられ、
ひとりの風流な奉行がそこに一本の榎を植えた。
榎は根を張り枝をひろげた。
としを経て大木になり、ヨワン榎とうたわれた。」
こういう傑作こそ、読書会の課題図書にして
皆さんと語り合いたいものですねぇ。