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谷崎潤一郎の「小さな王国」は、社会主義国家が醸し出す不気味さに満ち溢れている空恐ろしい作品です。

谷崎潤一郎の「小さな王国」は、社会主義国家が醸し出す不気味さに満ち溢れている空恐ろしい作品です。

掲載日: 2024年11月09日

「小さな王国」は、1918年(大正7年) に総合雑誌「中外」8月号に掲載された中編小説。
「中外」は、ジャーナリスト・内藤民治が編集・発行した雑誌であり、政治、経済、社会、文化全般についての評論などを掲載する雑誌。

つまり、かなり硬派な雑誌なのです。
そんな紙面に耽美な谷崎作品が掲載されるのか?と誰もが思うのではないでしょうか。
「小さな王国」とは、一体どんな作品なのでしょうか。

「小さな王国」のあらすじ

物語の主人公は、関東の近郊で暮らす小学校教師、貝島。
学者になろうと思うほど教育熱心な男です。

ある日、彼のクラスに沼倉という転校生がやってきます。
決して裕福ではない職工の子。温和な性格です。
そんな少年が、次第にクラスの主(ぬし)となっていくのです。
一体どんなことが、このクラスでは起こっているのでしょうか。

「小さな王国」を解説します。

「小さな王国」を読んでみると感じることがあります。
実に読み易いのです。内容がスーッと頭に入ってきます。

一体どうしてなのでしょうか。
もちろん谷崎の文章がわかりやすいということもあるのですが、構成が実にきちんと設計されているのです。
つまり、きちんと起承転結に基づいた構成になっているので、話の筋が理解しやすいのです。
読み込んでいきましょう。

まずは、「起」:教師、貝島の置かれている状況

貝島昌吉は純粋の江戸っ児で、生れは浅草の聖天町であるが、漢学者であった父の遺伝を受けたものか、幼い頃から学問が好きであった為めに、とうとう一生を過ってしまった。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

なにやら、貝島の陥る不幸を暗示させる書き出しです。
さらに貝島の先行きを暗示させる文章が続きます。

なんぼ彼が世渡りの拙い男でも、学問で身を立てようなどゝしなかったら、―――何処かの商店へ丁稚奉公に行ってせっせと働きでもして居たら、―――今頃は一とかどの商人になって居られたかも知れない。少くとも自分の一家を支えて、安楽に暮らして行くだけの事は出来たに違いない。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

つまりは、貝島は由々しき境遇にあると、言っているのです。
妻と7人の子、実の母を養わなければいけない貝島は、貧困の中にあることが描かれていきます。

東京に生い立って、半生を東京に過して来た彼が、突然G県へ引き移ったのは、大都会の生活難の壓迫に堪え切れなくなったからである。東京で彼が最後に勤めて居た所は、麹町区のF小学校であった。其処は宮城の西の方の、華族の邸や高位高官の住宅の多い山の手の一廓にあって、彼が教えて居る生徒たちは、大概中流以上に育った上品な子供ばかりであった。その子供たちの間に交って、同じ小学校に通って居る自分の娘や息子たちの、見すぼらしい、哀れな姿を見るのが彼には可なり辛かった。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

江戸っ子の貝島が東京近郊の件へ引っ越しを余儀なくされた状況が実に理路整然と描かれています。
物語の展開が分かりやすいこと、この上ないです。

そして、次に新天地に引っ越した様子が描かれています。

貝島が敗残の一家を率いて、始めて其処へ移り住んだのは、或る年の五月の上旬で、その町を囲繞する自然の風物が、一年中で最も美しい、最も光り輝やかしい、初夏の日の一日であった。長い間神田の猿楽町のむさくろしい裏長屋に住み馴れた一家の者は、重暗く息苦しい穴の奥から、急にカラリとした青空の下へ運び出されたような気がして、ほっと欣びの溜息をついた。子供たちは、毎日城跡の公園の芝生の上や、T河の堤防のこんもりとした桜の葉がくれや、満開の藤の花が房々と垂れ下ったA庭園の池の汀みぎわなどへ行って、嬉々として遊んだ。貝島も、貝島の妻も、ことし六十いくつになる老母も、俄かに放たれたような気楽さを覚えて、年に一遍、亡父の墓参に出かけるより外は、東京と云うところを恋しいともなつかしいとも思いはしなかった。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

家族全員が晴れやかな気持ちになっていく様を読んでいると、私には「不幸になるフラグ」が建てられている気がしてなりません(;^_^A

彼は日々、教室の窓から晴れやかな田園の景色を望み、遠く、紫色に霞んで居るA山の山の襞に見惚れながら、伸び/\とした心持で生徒たちを教えて居た。赴任した年に受け持ったのが男子部の尋常三年級で、それが四年級になり、五年級に進むまで、足かけ三年の間、彼はずっと其の級を担当して居た。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

貝島が受け持ったクラスは、甘やかされた金持ちの子もいれば、始末に負えない腕白な子もいます。が・・・、

性来子供が好きで、二十年近くも彼等の面倒を見て来た貝島は、いろ/\の性癖を持った少年の一人々々に興味を覚えて、誰彼の区別なく、平等に親切に世話を焼いた。場合に依れば随分厳しい体罰を与えたり、大声で叱り飛ばしたりする事もあったが、長い間の経験で児童の心理を呑み込んで居る為めに、生徒たちにも、教員仲間や父兄の方面にも、彼の評判は悪くはなかった。正直で篤実で、老練な先生だと云う事になって居た。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

ここまで、順風満帆なことが続くというのは、その後には間違いなく「恐ろしいこと」が待ち構えています。(;^_^A

「承」:転校生、沼倉が投じた不穏なこと

案の定、新天地での幸せな生活に不穏な空気が出てきます。

貝島がM市へ来てからちょうど二年目の春の話である。D小学校の四月の学期の変りめから、彼の受け持って居る尋常五年級へ、新しく入学した一人の生徒があった。顔の四角な、色の黒い、恐ろしく大きな巾着頭のところどころに白雲の出来て居る、憂鬱な眼つきをした、ずんぐりと肩の圓い太った少年で、名前を沼倉庄吉と云った。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

どういう家庭の子かというと、

職工の忰で、裕福な家の子でない事は、卑しい顔だちや垢じみた服装に拠っても明かであった。貝島は始めて其の子を引見した時に、此れはきっと成績のよくない、風儀の悪い子供だろうと、直覚的に感じたが、教場へつれて来て試して見ると、それ程学力も劣等ではないらしく、性質も思いの外温順で、むしろ無口なむっゝりとした落ち着いた少年であった。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

いたって普通の子供です。
ところが実際はそうではないことがわかってきます。

或る日のことである。晝の休みに運動場をぶらつきながら、生徒たちの餘念もなく遊んで居る様子を眺めて居た貝島は、―――此れは貝島の癖であって、子供の性能や品行などを観察するには、教場よりも運動場に於ける彼等の言動に注意すべきであると云うのが、平素の彼の持論であった。―――今しも彼の受持ちの生徒等が、二た組に分れて戦争ごっこをして居るのを発見した。其れだけならば別に不思議でも何でもないが、その二た組の分れ方がいかにも奇妙なのである。全級で五十人ばかりの子供があるのに、甲の組は四十人ほどの人数から成り立ち、乙の組には僅かに十人ばかりしか附いていない。そうして甲組の大将は例の生薬屋の忰の西村であって、二人の子供を馬にさせて、其の上へ跨りながら、頻りに味方の軍勢を指揮して居る。乙の組の大将はと見ると、意外にも新入生の沼倉庄吉である。此れも同じく馬に跨って、平生の無口に似合わず、眼を瞋いからし声を励まして小勢の部下を叱咤しながら、自ら陣頭に立って目にあまる敵の大軍の中へ突進して行く。全体沼倉は入学してからまだ十日にもならないのにいつの間にこれほどの勢力を振うようになったのだろう。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

実に不気味です。
この後にはさらに不穏な様子が描かれています。

彼等は、誰よりも沼倉一人を甚しく恐れて居るらしい。外の敵に対しては、衆を恃たのんで可なり勇敢に抵抗するのだが、一と度び沼倉が馬を進めて駈けて来るや否や、彼等は急に浮足立って、ろくろく戦いもせずに逃げ出してしまう。果ては大将の西村までが、沼倉に睨まれると一と縮みに縮み上って、降参した上に生け捕りにされたりする。その癖沼倉は腕力を用うるのでも何でもなく、たゞ縦横に敵陣を突破して、馬上から号令をかけ怒罵を浴あびせるだけなのである。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

沼倉の不穏な様子は、さらに授業中でも描かれていきます。

或る日の朝、修身の授業時間に、貝島が二宮尊徳の講話を聞かせたことがあった。
(中略)厳かな調子で語り始めた時、生徒たちは水を打ったように静かにして、じっと耳を欹そばだてゝ居た。隣りの席へ無駄話をしかけては、よく貝島に叱られるおしゃべりの西村までが、今日は利口そうな目をパチクリやらせて、一心に先生の顔を仰ぎ視て居た。暫くの間は、諄々と説きだす貝島の話声ばかりが、窓の向うの桑畑の方にまでも朗かに聞えて、五十人の少年が行儀よく並んで居る室内には、カタリとの物音も響かなかった。
(中略)流暢に語り続けて居ると、その時までひっそりとして居た教場の隅の方で、誰かゞひそ/\と無駄話をして居るのが、微かに貝島の耳に触さわった。
(中略)話声が聞える度びに急いで其の方を振り向くと、途端にパッタリと止んでしまって、誰がしゃべって居るのだかは容易に分らなかった。けれども其れは、教室の右の隅の方の、沼倉の机の近所から聞えて来るらしく、しゃべって居る者はたしかに沼倉に違いないと推量されて来た。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

貝島は、沼倉を叱ります。
ところが・・・、

「沼倉! お前だろう先さっきからしゃべって居たのは? え? お前だろう?」
「いゝえ、僕ではありません。………」沼倉は臆する色もなく立ち上って、こう答えながらずっと自分の周囲を見廻した後、「先から話をして居たのは此の人です」と、いきなり自分の左隣に腰かけて居る野田と云う少年を指さした。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

喋っていたのは間違いなく沼倉。野田ではないのです。
がしかし・・・。

野田は沼倉に指さゝれた瞬間、はっと驚いたような眼瞬まばたきをして、憐れみを乞うが如くに相手の眼の色を恐る恐る窺って居たが、やがて何事をか決心したように、真青な顔をして立ち上ると、「先生沼倉さんではありません。僕が話をして居たのです」と、声をふるわせて云った。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

これは何か由々しきことが生徒たちの間で起こっているということです。
実に不気味です。

小学校の尋常五年生と云えば、十一二歳の頑是ない子供ばかりである。親の意見でも教師の命令でもなか/\云う事を聴かないで暴れ廻る年頃であるのに、それが揃って沼倉を餓鬼大将と仰ぎ、全級の生徒が殆ど彼の手足のように動いて居る。沼倉が来る前に餓鬼大将として威張り散らして居た西村は勿論のこと、優等生の中村だの鈴木だのまでが、懼おそれて居るのか心服して居るのか、兎に角彼の命令を遵奉して、此の間のように沼倉の身に間違いでもあれば、自ら進んで代りに体罰を受けようとする。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

一体何が子供たちの間で起こっているのでしょうか。
幸いにして、貝島の長男は同じクラスにいる。

貝島は、幸い自分の長男の啓太郎が同じ級の生徒なので、それとなく様子を聞いて見ると、だん/\彼の心配の杞憂に過ぎない事が明かになった。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

一体どんなことが起こっているのかというと・・・、

沼倉が如何にして、いつ頃から其れ程の権力を振うようになったかと云うと、―――啓太郎の頭では其の原因をハッキリと説明する事は出来なかったけれども、―――要するに彼は勇気と、寛大と、義侠心とに富んだ少年であって、それが次第に彼をして級中の覇者たる位置に就かしめたものらしい。単に腕力から云えば、彼は必ずしも級中第一の強者ではない。相撲を取らせれば却って西村の方が勝つくらいである。ところが沼倉は西村のように弱い者いじめをしないから、二人が喧嘩をするとなれば、大概の者は沼倉に味方をする。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

事情を聴きだした貝島はこう思うのです。

卑しい職工の息子ではあるけれど、或は斯う云う少年が将来ほんとうの英傑となるのかも測り難い。同級の生徒を自分の部下に従えて威張り散らすと云う事は、そう云う行為を許して置くことは多少の弊害があるにもせよ、生徒たちが甘んじて悦服して居るのなら、強いて干渉する必要もないし、干渉したところで恐らく効果がありそうにもない。いや、それよりも寧ろ沼倉の行いを褒めてやる方がいゝ。子供ながらも正義を重んじ、任侠を尚ぶ彼の気概を賞讃して、なお此の上にも生徒の人望を博するように励ましてやろう。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

谷崎潤一郎が描く男は、共通するテーマがあります。
それは「愚かな人間」。
そこを踏まえて先の文章を読み直すと、貝島の愚かさが浮き上がって見えてきませんか?

果たして、貝島は沼倉を褒めたたえる行動に出ます。
その結果どうなるか。

明くる日の朝、学校へ出て行った貝島は、自分の沼倉操縦策が豫期以上に成功しつゝある確證を握って、更に胸中の得意さを倍加させられた。なぜかと云うのに、その日から彼が受持ちの教室の風規は、気味の悪いほど改まって、先生の注意を待つ迄もなく、授業中に一人として騒々しい声を出す者がない。生徒はまるで死んだように静かになって、咳しわぶき一つせずに息を呑んで居る。あまり不思議なので、それとなく沼倉の様子を窺うと、彼は折々、懐から小さな閻魔帳を出して、ずっと室内を見廻しながら、ちょいとでも姿勢を崩して居る生徒があれば、忽ち見附け出して罰点を加えて居る。「成る程」と思って、貝島は我知らずにほゝ笑まずには居られなかった。だん/\日数を経るに従って、規律はいよ/\厳重に守られて居るらしく、満場の生徒の顔には、たゞもう失策のない事を戦々兢々と祈って居る風が、あり/\と読まれたのであった。
谷崎潤一郎「小さな王国」(青空文庫)

この状況を読んで、何かに気が付きませんか?
そう、これは旧ソ連で起きた社会主義の世界なのです。
「小さな王国」が発表されたのは、1918年(大正7年)。
実は、その前年の1917年にロシア革命が起こってソビエト社会主義共和国連邦が誕生しているのです。

大正期の谷崎潤一郎は、様々な実験を行っています。
これまで描いてきた耽美主義から一度離れて怪奇小説や探偵小説なども描いています。

「小さな王国」は、谷崎作品では唯一の「社会派小説」なのです。
この作品が総合雑誌「中外」に掲載された理由がここにあるのです。

さぁ、この後には、「」として、沼倉のさらなる秘密が描かれ、貝島のさらなる転落が描かれ、そら恐ろしい「」を迎えることとなります。

ここから先は実際に作品を読んで、背筋が凍る体験をしてください。

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