夏目漱石「夢十夜」-第九夜(父が戦に行ってしまう話)は、漱石が体験した悲哀を描いています-朗読15
- 日本文学
掲載日: 2023年03月24日
「夢十夜」とは。
「夢十夜」は、1908年(明治41年)に『朝日新聞』に連載された連作短編小説。
10話からなる、不思議な「夢」を語る幻想的な作品です。
リアルな「作り物」を旨としている漱石らしく、実に不思議なお話。
そして、ただの空々しい幻想的な物語ではなく、
生き生きとしたリアリズムにあふれています。
今回お届けする朗読は、夏目漱石「夢十夜」の第九夜。
戦乱の時代、幼子を残して行方知れずとなった父。
無事を祈って神社にお百度参りに行く母。そして翻弄される幼子。
残された母子の悲哀を描いたお話です。
「夢十夜-第九夜」を解説します。
漱石は、幼い頃、家が経済的に困窮していたため知り合いの家に里子に出されています。
里子に出された先は、商売を営んでいる家だったため、ほっておかれたようで、見るに見かねた姉が家に連れ戻しています。
そんな悲しい体験を踏まえて読むと、「第九夜」で漱石が描きたかったことが浮かび上がってくるのではないでしょうか。
では、冒頭から読んでいきましょう。
世の中が何となくざわつき始めた。今にも戦争(いくさ)が起りそうに見える。焼け出された裸馬が、夜昼となく、屋敷の周囲(まわり)を暴(あ)れ廻ると、それを夜昼となく足軽共が犇(ひしめ)きながら追っかけているような心持がする。
夏目漱石「夢十夜-第九夜」(青空文庫)
これから何が起こるのか、とても心穏やかではいられない様子が、良く描かれています。
そんな状況の中、「父はどこかへ行った」のです。
父がどこかへ行ったのは、月の出ていない夜中であった。床(とこ)の上で草鞋(わらじ)を穿(は)いて、黒い頭巾を被って、勝手口から出て行った。その時母の持っていた
夏目漱石「夢十夜-第九夜」(青空文庫)
雪洞(ぼんぼり)の灯が暗い闇に細長く射して、生垣の手前にある古い檜(ひのき)を照らした。
「暗い闇を照らす、雪洞の細長い灯り」が、一層不安な様子を掻き立てます。
やがて、夜になると母子は神社に行き、夫の無事を祈り、お百度参りをするようになります。
夜になって、四隣(あたり)が静まると、母は帯を締め直して、鮫鞘(さめざや)の短刀を帯の間へ差して、子供を細帯で背中へ背負(しょ)って、そっと潜(くぐ)りから出て行く。
夏目漱石「夢十夜-第九夜」(青空文庫)
母はまず鈴を鳴らしておいて、すぐにしゃがんで柏手を打つ。たいていはこの時梟が急に鳴かなくなる。それから母は一心不乱に夫の無事を祈る。母の考えでは、夫が侍であるから、弓矢の神の八幡へ、こうやって是非ない願をかけたら、よもや聴かれぬ道理はなかろうと一図に思いつめている。
夏目漱石「夢十夜-第九夜」(青空文庫)
その時の幼子はと言うと・・・、
子供はよくこの鈴の音で眼を覚さまして、四辺を見ると真暗だものだから、急に背中で泣き出す事がある。その時母は口の内で何か祈りながら、背を振ってあやそうとする。すると旨うまく泣きやむ事もある。またますます烈しく泣き立てる事もある。いずれにしても母は容易に立たない。
夏目漱石「夢十夜-第九夜」(青空文庫)
幼子は、不安で仕方がない様子。この描写はさらに続きます。
一通(ひととお)り夫の身の上を祈ってしまうと、今度は細帯を解いて、背中の子を摺(ず)りおろすように、背中から前へ廻して、両手に抱きながら拝殿を上って行って、「好い子だから、少しの間(ま)、待っておいでよ」ときっと自分の頬を子供の頬へ擦りつける。そうして細帯を長くして、子供を縛っておいて、その片端を拝殿の欄干に括りつける。それから段々を下りて来て二十間の敷石を往ったり来たり御百度を踏む。
夏目漱石「夢十夜-第九夜」(青空文庫)
里子に出された漱石の心情を察して余りある記述ではないでしょうか。
けれども・・・。
という悲しい物語です。
そんな体験を踏まえて、この朗読を聞くと、父母への想いが伺われるのではないでしょうか。