謎に満ちた夏目漱石『夢十夜-第六夜』を読み解くヒントを解説|なぜ運慶が明治時代に仁王像を彫るのか。
- 日本文学
掲載日: 2026年05月05日
『夢十夜』とは。
『夢十夜』は、1908年(明治41年)に『朝日新聞』に連載された連作短編小説。
10話からなる、不思議な「夢」を語る幻想的な作品です。
作家の人生をありのままに描く「自然主義文学」とは異なり、リアルな「作り物」を旨としている漱石らしく、実に不思議なお話。
そして、ただの空々しい幻想的な物語ではなく、生き生きとしたリアリズムにあふれています。
『夢十夜』のあらすじ。
鎌倉時代の仏師、運慶が仁王像を彫っている。
ところが、時は明治。運慶を取り巻いて見物している明治の人々。
運慶は、全く意に介さずに黙々と彫っている。
一人の男が、自分にも彫れそうだと思い、彫ってみるのだが・・・、というお話。

『夢十夜』第六夜を解説します。
近代化する明治の日本を苦々しく思っていた漱石。
社会全般が自然と一体となっていた鎌倉時代。
それに引き換え、近代化で、自然と乖離してしまった現代(と言っても明治時代ですが)。
それを踏まえて、この物語を読むと、漱石の意図するところが伝わってくるのではないでしょうか。
では、読み込んでいきましょう。
かの有名な運慶が、護国寺の山門で仁王を刻んでいる、という評判を聞きつけて見物に行ってみる。
大勢の見物客が見ている中で、確かに運慶が一心不乱に仁王像を彫っています。
そして、見物客は、無教養で品のないヤジを飛ばしているのです。
運慶は、そんなヤジは意に介さずに、一心に彫っています。
この物語の語り手である「自分」はこんな風に言っています。
自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
夏目漱石「夢十夜-第六夜」(青空文庫)
運慶は、鎌倉時代の人間です。
そして、見物人は、現代(明治時代)の人間です。
これは、いったい何が起こっているのでしょう。
あ、そうそう、これは「夢」でした(;^_^A
さて、見物人の中の一人の男がこんなことを言います。
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみと云う態度だ。天晴れだ」と云って賞め出した。
夏目漱石「夢十夜-第六夜」(青空文庫)
運慶が彫っている様子を見ていると、造作なく彫っている。
その様子を見て、
「よくああ無造作に鑿を使って、思うような眉や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言のように言った。するとさっきの若い男が、
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。夏目漱石「夢十夜-第六夜」(青空文庫)
これを聞いて、なんだか自分でも彫れそうな気がしてくる。以下にも愚かな感じです(;^_^A
そこで、
道具箱から鑿と金槌を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風で倒れた樫を、薪にするつもりで、木挽に挽かせた手頃な奴が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。夏目漱石「夢十夜-第六夜」(青空文庫)
現代、(つまり明治のことですが)には、文化は残っていないのだ、と言いたいのではないでしょうか。

そんな不思議な物語を朗読と映像で表現してみました。


