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上田秋成「雨月物語-菊花の約」は、謀略渦巻く戦国時代に咲く大輪の花のような友情を描いた物語です。

上田秋成「雨月物語-菊花の約」は、謀略渦巻く戦国時代に咲く大輪の花のような友情を描いた物語です。

掲載日: 2025年02月18日

「雨月物語」は、江戸時代後期の1776年(安永5年)に出版された作品。
9編の短編からなる幻想的な怪異小説集です。
「菊花の約」は、第2話として登場します。

「菊花の約」のあらすじ

時は、戦乱の盛んな戦国時代。
若い学者の丈部左門は、知人の家を訪れた折に、高熱にうなされている赤穴宗右衛門という侍を助ける。
命を救ったという恩義のみならず、お互いの深い学識に共鳴した左門と宗右衛門は義兄弟の契りを結ぶ。
全快した宗右衛門は重陽の節句にはこの地へ帰るからと約束して、城主のいるへ出雲へと旅立つ。
約束の時が来た。果たして宗右衛門は、戻ってくるのであろうか・・・。

「菊花の約」を解説します。

冒頭で語られるのは、情の薄い人との交流を戒める例えです。
曰く、

春になると青々とした若葉を茂らせる柳も、家の庭に植えてはならない。それとおなじように、交際は軽薄な人と結んではならない。なぜかといえば、柳はすぐ茂って青々となるけれども、初秋をつげる風がひとふきすると、それにたえられずにたちまち散ってしまうからである。また軽薄な人はまじわりやすいが、同時にまじわりが絶えて離れてしまうのもはやい。それでもまだ柳の方は春がくるたびに葉を新緑に染めてみせるが、軽薄の人はいったんまじわりが絶えたならば、二度とふたたび訪ねてくるなどということはないものである。
上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

柳は春には若葉を青々と茂らせるが、秋になるとすぐに散ってしまう。
これと同じように、情の薄い人は最初は親しくなったとしても、一旦離れ離れになると交流が途絶えてしまうものだ、といっています。
これが、この作品にどのように語られているのか。

さて、ここから物語の本筋が始まります。
まずは、この物語の主人公がどのような人物かが語られます。

播磨
はりま

くに加古
かこ
宿
しゅく
に、丈部左門
はせべさもん
という学者がいた。清貧にあまんじて、日夜親しむ書物のほかは、身のまわりの諸道具類などわずらわしいといって、万事簡素に暮らしていた。年老いた母があった。この母は、中国の有名な孟母
もうぼ
にも劣らないほどのかたい節操をもった賢母で、常に糸をつむぎ、はたを織ることを仕事としては、左門のこころざしを達成させようと助けていた。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

播磨の国加古の宿は、現在の兵庫県加古川市にあたります。
飛鳥時代から栄えていた歴史のある場所です。

主人公の名は「丈部左門」。学者です。
当時の学者というと「儒学者」です。
仁・義・礼・智・信などの徳を積み、父子・君臣・夫婦・長幼・朋友などの人間関係を築くという教えが骨子となる学問。
暮らし向きはというと、貧しいけれどもそれを甘んじて受け入れ、日夜学問にいそしんでいます。

ある日のことです。
左門が知人の家を訪ねて行ったところ、隣の部屋から人のうめき声が聞こえてきます。
事情を聴いたところ、一夜の宿を所望した旅の武士が高熱を出して臥せっているとのこと。

様子を見たいという左門を主人は止めます。

「はやり病は人をそこなうものだと聞いていますから、家の者などもあそこへは行かせないようにしております。あなたも近寄っておからだを悪くすることがあるといけません」という。左門は笑って、「論語にもいうように『死生命あり』で、人間の寿命は天命の定めるところです。天命でなければどんな病気だってうつるはずはありません。それを、はやり病は人をそこなうなどというのは、愚人俗人のいうことで、私どもは信じません」というと、戸をおしあけて隣室に入って、病人を見る。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

旅先で病にかかった場合は、誰も近寄らず放っておかれることが常です。
ところが儒教を学んでいるが故、病人を助けようとする左門。

主人がはなしたとおり、素姓
すじょう
のよさそうな人であるが、病気が重いとみえて、顔は黄色く、皮膚は黒く、
せ衰えて、古蒲団
ふるぶとん
のうえにくるしそうに身を横たえている。そして左門がはいってきたのをしると、人なつかしそうに見て、「どうか、お湯をいっぱい下さい」という。左門は近寄って、「もう御心配はいりません。私がかならずお救い申しあげましょう」といってはげますと、主人と相談して薬をえらび、自分で処方を考え、自分で煎薬
せんやく
して、それをのませながら、そのうえ
かゆ
を炊いて食べさせるなど、その看病ぶりはまるで兄弟にたいするように親切をきわめ、一刻たりとも捨てておけないというような手厚さであった。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

よもや他人が助けてくれようとは夢にも思っていなかった武士は、涙を流します。

かの武士は、左門の看護の親切さに涙を流して感謝し、「見ず知らずの旅人である私に、これほどまでに御親切にして下さるとは感謝のことばもありません。たとえこのまま死のうとも、あなたの御親切にたいしてはきっと御恩返しをいたします」という。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

左門の看病のおかげで、病気も次第に回復してゆく旅の武士。
自分の身の上を語ります。

私は、もと出雲
いずも

くに
松江の出身で、赤穴宗右衛門
あかなそうえもん
という者ですが、すこしばかり軍学の書に通じていたので、富田
とみた
の城主塩冶掃部介
えんやかもんのすけ
が、私を師として軍学を学ぶという立場におりました。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

富田城は、現在も松江市に「月山富田城跡」として残っている城です。
旅の侍の名は、赤穴宗衛門。殿様が教えを乞うほどに軍師として優れている人物。

では、そんな人物がなぜ、加古川にいるのかというと・・・、

あることから近江
おうみ
佐々木氏綱
ささきうじつな
の許へ密使としてえらばれ、近江へ赴いて佐々木の館に逗留しているうちに、故郷では前の富田城主尼子経久
あまこつねひさ
山中鹿之介
やまなかしかのすけ
一党を味方にひきいれて、文明
ぶんめい
十七年十二月の大晦日
おおみそか
に、不意討ちをかけて城をのっとったので、掃部介
かもんのすけ
殿も討死なさったのであります。元来出雲の国は佐々木の領国で、塩冶氏はその代官だったのですから、私は氏綱にむかって、『三沢
みざわ
三刀屋
みとや
の豪族を援助して、経久を討ちほろぼしなさい』と進言したのですが、氏綱は外見いかにも勇将にみえながら、内心は臆病卑怯な愚将なので、私の建言を実行しないばかりか、かえって私を館に足どめしたのです。しかし、私は、いる理由もない所に長居はすまいと、単身ひそかに抜け出して、故郷へ帰ろうとした途中、こんな病気にかかって、

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

何らかの用事があり、赤穴宗衛門は密使として近江を治める佐々木家へ赴きます。
が、留守の間に故郷の富田城が攻め落とされてしまいます。
攻め落としたのは、先代の城主であった尼子氏。
尼子氏は、公金の横領の罪で追放されていた人物です。

赤穴宗衛門は、佐々木氏に尼子氏を打ち滅ぼすべきだと進言しますが聞き入れられず、さればと、故郷に取って帰る途中で病に倒れたのです。

さらに赤穴宗衛門は言います。

はからずも先生にたいへんお世話をおかけしたということは、身にあまる御恩であります。これからの私の生涯をかけてきっと御恩返しをいたします

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

それに答えて左門は言います。

「『孟子』にもあるように、人の不幸をみて見殺しにできないのは人間の本性でありますから、私のしたことも当然のことで、いまさらそんな御鄭重
ごていちょう
なお礼のことばをいただく理由がありません。まあ、もうすこしここに滞在されて御養生なさい」と。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

徳を重んじる儒学を学んでいるとはいえ、実に慈悲深い言葉です。
前述の母親の記述(下記参照)から、読者は納得がいくのではないでしょうか。

この挿絵は、先代の城主であった尼子氏が富田城を攻め落ている様子を描いています。
実は、尼子氏や塩治氏は、佐々木氏の一門で、いわば同族の間柄
同族どうして争っているのです。それに対して、赤穴宗衛門と、左門は赤の他人ですが熱い友情で結ばれています。なんという皮肉でしょうか。

さて、赤穴宗衛門の病も癒え、季節は初夏を迎えるころとなりました。
赤穴宗衛門は言います。

「私が近江を脱出してきたのも、出雲の様子を見ようと思ったためですから、この際ひとまず国へ下って、すぐにまた帰ってまいり、それからは貧しいながらも一生懸命に母上に孝養をつくして御恩返しをしたいと思います。しばしのお
いとま
を下さい」

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

それを聞いた左門は、いつ戻りますかと問う。
赤穴宗衛門は、こう答えます。

「九月九日、重陽
ちょうよう
佳節
かせつ
をもって帰ってくる日ときめましょう」とこたえる。左門は「兄上、きっとこの日をまちがわないで下さい。当日、私は、一枝の菊花に、気持だけの粗酒を用意してお待ち申しあげておりますから」と念をおすと、互いに誠意をもって約束しあい、別れがたい別離の情を惜しんで、やがて、赤穴は西へ帰っていった。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

9月9日は重陽の節句と呼ばれる節句。菊の節句ともよばれています。
現在の10月ごろとなり、ちょうど菊の花が咲くころです。
これが題名の「菊花の約」の由来です。

故郷へと戻っていった赤穴宗衛門は、どんな運命が待っているのでしょうか。
ここはぜひ、本文を読んで、数奇な運命を味わってみてください。

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