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上田秋成「雨月物語-白峯」は、崇徳天皇が如何にして怨霊と化したかを描いた物語です。

上田秋成「雨月物語-白峯」は、崇徳天皇が如何にして怨霊と化したかを描いた物語です。

掲載日: 2025年02月02日

「雨月物語」は、江戸時代後期の1776年(安永5年)に出版された作品。
9編の短編からなる幻想的な怪異小説集です。
「白峯」は、その巻頭を飾る第1話として登場します。

「白峯」のあらすじ

時は平安時代。一人の旅の僧が訪れた讃岐は白峯。
旅の僧は彼の地で荒れ果てた墓を訪れます。
供養の経を読んでいると怨霊と化した高貴な方が現れ、怨霊となった経緯を語って聞かせます。
そこから問答が始まり、恐ろしい預言を聞かされることになるのです。

「白峯」を解説します。

冒頭で、この物語の主人公が、諸国を旅していることが描かれます。

西国の名所・歌枕を見たいものだと思って、仁安三年の秋には、
あし
の花散る難波
なにわ

て、須磨・明石の浦ふく汐風を身にしみじみと感じながら、旅をつづけて四国にわたり、讃岐
さぬき
真尾坂
みおざか
の林というところに、しばらく逗留することにした。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

時は仁安三年。ということは、平安時代。前の年には平清盛が太政大臣になっている頃です。
語っているのが誰かはまだ明らかになっていませんが、どうやら大阪を経て四国にやって来たことがわかります。

この里近くの白峯というところに、崇徳院の御陵があると聞いて、参拝したいものだと、十月のはじめごろ、その白峯に登った。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

「白峯」は香川県にある山岳地帯です。そこには今でも崇徳天皇の御陵があります。

彼の地で、旅の僧が見たものは何かというと、

木立がわずかにすいた所に、土を高くつんだうえに石を三つ積み重ねたものがあるが、それが野茨
のいばら
蔓草
つるくさ
にすっかりうずもれて、みた目にもなんとなく物悲しい気持がするのを、これこそ崇徳院の御墓であろうかと思うと、心も暗然とさせられて、まったく夢なのか現実なのかけじめもつかないほどである。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

崇徳天皇の墓所なのですが、朽ち果てた様子です。

思えばまのあたりそのお姿を拝したのは、まだ天子であらせられたころで、紫宸殿
ししんでん
清涼殿
せいりょうでん
御座所
ござしょ
で政治をおとり遊ばされたのを、文武百官は、まことに賢明な天子であると、その仰せをおそれかしこんでお仕え申しあげたものである。また近衛天皇
このえてんのう
に御位をお譲りになられてからも、上皇御所の立派な玉殿におすまいになっていらしたのに、それがこんな鹿の通う足跡しか見えない、伺候
しこう
奉仕するものもないような深山の
やぶ
の下に崩御
ほうぎょ
されていようとは、まったく思いもかけないことであった。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

旅をしている者の素性が次第に語られていきます。
彼は、崇徳天皇に仕えていたのです。美しい都の御所で祭事をなさっていらした高貴な天皇のお墓にしては、あまりにもひどい御陵のさまを見て彼は悲しみます。

今夜は夜どおし御回向
ごえこう
申しあげようと、御墓の前のたいらな石の上にすわって、お経をしずかによみはじめたが、やがて心にうかんだ一首の和歌をよんでお供えした。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

読経を続けるも涙があふれてきます。
月も出てきて、やがて眠るともなくウトウトとしていると・・・、

円位えんい、円位」とよぶ声がする。
 眼をひらいて闇の中をすかしみると、異様な姿で、背が高く痩せ衰えた人が、顔つきや着衣の色柄ははっきりと見えないが、こちらを向いて立っている。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

ここで初めて、旅の者が誰かが明かされます。
「円位」というのは、西行法師の法名です。
西行法師は元は武士であり、崇徳天皇に仕えていました。
けれども、天皇家の皇位継承の内紛に嫌気がさして出家し、その際の法名が「円位」なのです。

「よくきてくれたな」とおっしゃるので、西行ははじめてそれが崇徳院の亡霊であることがわかり、地面にぬかずいて拝し、さめざめと涙を流していった。「それにしてもどうして成仏
じょうぶつ
されずにお迷いになっていらっしゃるのでございますか。濁りけがれた現世をのがれて仏になられたことをうらやましく存じてこそ、今夜の法要によって、仏縁におあずかり申したいと思っておりましたのに、成仏なされずにここにおあらわれになるとは、もったいないことではございますが、また悲しい御心根でございます。ひたすらこの世の妄執をお忘れになって、めでたく成仏の位におつき下さい」と、真心をつくしてお諫め申しあげた。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

自分の名を「円位」と呼ぶ異形の人物が崇徳天皇の霊であることを西行は悟ります。
そして、異様な姿をみて、「どうして成仏なさらないのですか」と嘆くのです。
崇徳天皇の霊は、成仏しない理由を語り始めます。

崇徳院は声高くお笑いになって、「その方は知るまいが、近ごろの世上の乱れは、自分のしわざである。生きている時から魔道に心をうちこんで、平治
へいじ
の乱をおこさせ、死して後もなお朝廷にたたりをするのだ。よく見ているがいい。やがて天下に大乱をおこさせようぞ」という。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

源氏と平氏が朝廷の皇位継承を争った内乱、「平治の乱」を引き起こし、世を乱すために成仏しないのだというのです。
これを聞いた西行は、こう問います。

こころみにおたずね申しあげます。一体
いったい
保元
ほうげん
御謀叛
ごむほん
は、天照大神の御神勅の趣旨に
たが
うまいと思って、お思いたちになられたのですか。それとも御自身の私欲から御計画なされたのですか。さあ、
くわ
しくおっしゃって下さい」と申しあげた。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

崇徳天皇は、本来ならば自分の子が皇位を継承するはずでした。
ところが、策略により皇位を追われます。それ端を発して保元の乱が起こったのです。
そのことを西行は、本心や如何にと問うているのです。
崇徳院の顔色が変わります。

「よく聞け。帝位は人間至上の位である。それをもし上にたつ天子から人道を乱すときは、天の命ずるところにしたがい、民の与望にこたえて、天子たりともこれを
つのが聖賢の道である。そもそも永治
えいじ
元年の昔、なんの罪もないのに、父鳥羽院の
めい
によって、自分は帝位を三歳の体仁
なりひと
にゆずって退位したが、この心をみても自分が人欲ふかいとはいえまい。その体仁が若死されては、わが子の重仁
しげひと
こそ当然天下を統治すべきものと、自分も世間も思っていたのに、美福門院
びふくもんいん
の妬みにさまたげられて、第四皇子の雅仁
まさひと
に帝位をうばわれたのは、まことふかいうらみではないか。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

崇徳天皇は、さらには中国の事例を引き合いに出して説いていきます。


しゅう
の武王が臣の身として、君主であった
いん
紂王
ちゅうおう
を討ったのさえ、天の命ずるところにしたがい、民の与望にこたえれば、事は成就
じょうじゅ
し、天は認めて、周八百年の世の
もとい
をひらく大業となったではないか。まして国を治める資格と地位のある自分が、女の権力によってできた、あやまった政権にとってかわろうとするのに、なんでこれが道理にそむいたことだといえようか。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

天下を治めるものが、間違った行いをして民を苦しめるような為政者だった場合は、これを倒して、首を挿げ替える、という思想が中国にはあります。
崇徳天皇は、革命を良しとしたのです。
これを受けて西行は、日本の古代の事例を話し始まます。

わが国の昔にも、応神
おうじん
天皇が兄皇子の大鷦鷯
おおささぎ

きみ
をさしおいて、末皇子の菟道
うじ

きみ
を皇太子とお定めになりました。天皇崩御ののち、この兄弟の皇子たちは互いにゆずりあって、どちらも帝位につこうとしません。三年たってもそのゆずりあいが終りそうにもないのを、菟道の王はふかく御心配になって、『どうして私がこれ以上生きながらえて、天下の人々に迷惑をかけられようか』とおっしゃると、御自害あそばされたので、やむなく兄皇子が帝位におつきになりました。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

兄弟が皇位を譲り合ったために弟が自害をして身を引いたのです。
西行は、身内同士で争わないでほしいと言っているのです。
が、それは正論にすぎないと、私は思います。
当事者である崇徳天皇は、納得がいかないのではないでしょうか。
西行はさらに続けます。

『周のはじめ、武王、殷の紂王の暴虐を
いきどお
ってこれを討ち、ために天下の民を安らかにした。これは臣の身として君を
しい
したというべきではない。仁にもとり義にもとった一人の不徳者紂をころしたのである』ということが、『孟子』という書物に記されていると人づてに聞いております。だから、中国の書籍は、経典・史策・詩文にいたるまで、神意にかなって、わが国に渡来しないものはありませんが、『孟子』という書物だけはまだ日本に伝わっておりません。この書物を積んでくる船は、途中でかならず暴風に遭って沈没するからだといわれております。それはどういうわけかというと、わが国は天照大神が国の基をひらいてお治めになってから、皇孫の天子がたえることなく代々御位についておりますのに、もしこんな口先でいいくるめるような、こざかしい教えを伝えることになると、後世には帝位を奪っても罪と思わないという賊子も出ることであろうと、八百よろずの神々がこの書物をお憎みになって、神風をおこして船を転覆させるのだということでございます。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

民を苦しめる為政者の首は挿げ替えよ、という前述の思想は孟子の思想です。
日本は、天照大神を祖とする後続が代々我が国を納めていて、そんな革命思想が日本に入ってきては、皇位を奪おうという賊が現れないとも限らない、それ故八百万の神々が渡来を許さないのだというのです。
そこまで正論を説かれては、もはや崇徳天皇は帰す言葉もなくなってしまいます。
崇徳天皇は、自らの境遇を訴えるしかないのです。

これを聞いて、崇徳院はふかいためいきをつかれ、「いまその方が事の善悪道理を正してわが罪をせめたが、その方のいうところもまたもっともである。しかしどうしようもないのだ。この島に流されて、高遠
たかとお
の松山の家に苦しくもとじこめられ、日に三度の食事をもってくる者以外には、誰ひとりとして参って仕えるものもない。ただ夜空をとぶ
かり
の声が枕もとちかく聞えてくると、あの雁は都をさして飛んで行くのだろうかと、それさえなつかしく思われ、明け方の千鳥が洲崎
すさき
で友よびかわして鳴くのを耳にすると、それもまた物思いのたねとなるだけである。中国の燕丹
えんたん
の故事のように、
からす
の頭が白くなるという奇跡がおころうとも、自分には都へ帰れる機会はないのだから、きっとこの辺鄙
へんぴ
な海辺で一生を終り、海辺をさまよう亡霊となることであろう。そこで、ひとえに来世の安楽のためにと思って、五部の大乗経
だいじょうきょう
を写経したが、寺らしい寺もないこんなさびしい片田舎の海辺にのこしておくのも悲しいことである。わが身はこの荒磯でくちるとも、せめて筆跡だけでも都の中へ入れさせて下さいと、弟の仁和寺
にんなじ
上首覚性法親王
かくしょうほっしんのう
のもとへ、経にそえてつぎの和歌をおくったのである。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

保元の乱で、打ち破れた崇徳天皇は、謀反の汚名を着せられ天皇の身でありながら島流しという極刑に処せられます。
崇徳天皇は、もはや都には戻れぬ身と覚悟を決め、せめて世の太平を願うためにと写経をし都へ送ったのです。
大変崇高なお志ではないですか。

ところが・・・、

少納言信西
しょうなごんしんぜい
が邪推して、『もしかするとこれは崇徳院が主上をのろい、天下をのろう心でおくられたものかもしれません』と、帝に申しあげたため、そのままにおくりかえされたのであるが、まことにうらめしいことだ。昔から日本でも中国でも、国位を争って兄弟が敵となった例はめずらしくないが、それでも自分は罪ふかいことをしたと思って、その悪心を悔い改め、罪ほろぼしのためにと思って写した御経であるのに、それをいかにさまたげるものがあるからといって、帝の近親は減刑するという議親法
ぎしんほう
をも無視して、兄の筆跡さえも都の中へおいれにならない帝の御心こそ、いまになっては永久に解けることのない恨みである。

上田秋成「雨月物語(現代語訳)」(青空文庫)

崇徳天皇は、この時点では悔い改めているのです。
その気持ちを写経という形で都に送ったにもかかわらず、無下にされました。
崇徳天皇の恨みはここに端を欲していたのです。

ここから、魔道に回向した様が語られ、自分をこのような境遇に貶めた者どもへの復讐が語られます。
そして、これから起こるであろう世の中の乱れが語られていきます。

この先はぜひ、本文を読んで、すさまじい復讐心を味わってください(;^_^A

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