泉鏡花著「春昼」「春昼後刻」は、世にも不思議な連作幻想小説。
- 日本文学
掲載日: 2022年04月23日
二つの作品の繋がりが、とても面白い。
まず、前段の「春昼」では、山奥のお堂にたどり着いた主人公が
住職から不思議な話を聞く様子が描かれます。
それはある麗しい夫人に心を奪われた男の悲しい物語。
後段の「春昼後刻」では、話を聞いた主人公が実際に夫人に遭遇し、
今度は実体験をしていくというとてもよくできた構成になっているのです。
主人公が、話に聞いた幻想世界。
それが、いつの間にか現実になっていくわけです。
「春昼」で描かれるものはと言えば・・・。
山奥の古びた観音堂を訪れた散策士。
所狭しと張り付けられた千社札を見て、こう思う。
「木賃の夜寒の枕にも、雨の夜の苫船からも、夢はこの処に宿るであろう。
巡礼たちが霊魂は時々此処に来て遊ぼう」
つまり
「たとえ寒い夜に安宿で眠っていても、雨の夜に苫船に揺られていても、
夢の中では、ここを訪れているのだろう。
巡礼たちの霊魂は時々ここに来て、楽しんでいる」と、言っています。
なんとも幻想的な表現です。
さて、観音堂を訪れた散策士は、女文字で書かれた短歌を見つけます。
「うたた寝に恋しき人を見てしより、夢てふものは頼み初(そ)めてき」
うたた寝の夢の中で恋しい人を見てから(「見てしより」→「見てし時より」)は
夢という儚いものにも頼るようになってしまった。
これが、不思議な悲恋の話の発端となります。
実に風雅です・・・。
この歌は、タイトルの「春昼」にもつながってきます。
不思議な世界が現実になる「春昼後刻」。
ある麗しき夫人にまつわる話を聞かされた後、散策士は、その絶世の美女に遭遇します。
土手の上に日傘をさして座る様子を泉鏡花は、こう表現します。
「錦の帯を解いた様な、媚めかしい草の上、雨のあとの薄霞、山の裾にたなびく中に一張の紫。
大きさ月輪の如く、すみれの花束に似たるあり。紫羅傘と書いて、いちはちの花。
字の通りだと、それ美人の持物」
これぞ泉鏡花にしか描けない絢爛たる文章ですねぇ。
その麗しき夫人が持っている一冊のノートブック。
散策士は、一目見て蒼くなった。
そこには、○と□と△の羅列があるのみ。
夫人は言う。
「ね、上手でしょう。これだって、ちょっとした写生じゃありませんか」
これが、何を意味しているのか。
不思議で不気味な出来事の白眉です。
ボクもゾッとしました(;^_^A