読書会情報はコチラ

オンライン読書会のコミュニティ「本コミュ読書会」

中原中也の詩「春の日の夕暮」には、中也の「生きること」への渇望が見え隠れしています。

中原中也の詩「春の日の夕暮」には、中也の「生きること」への渇望が見え隠れしています。

掲載日: 2023年12月28日

「春の日の夕暮」は、1924年(大正13年)、中原中也が17歳の時に創った作品。
この時の中也は中学を落第し、逃げるような形で京都へ行った頃です。
彼の地で、「ダダイズム」の芸術風潮に触れ、自らその作風に傾倒していました。

そのため、以降に作られた詩には、文章の前後関係に全く脈略のない「ダダイズム」の影響が色濃くみられます。
「ダダイズム」に傾倒していた最中に作られた「春の日の夕暮」には、特に顕著にその影響がみられます。
「ダダイズム」は、これまでの芸術全般を否定するもの。
それゆえか、「春の日の夕暮」には、句読点がありません(;^_^A

塗板がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです

アンダースロウされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は穏かです

あゝ、案山子はなきか――あるまい
馬嘶くか――嘶きもしまい
たゞたゞ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮か

ポトホトと臘涙に野の中の伽藍は赤く
荷馬車の車、油を失ひ
私が歴史的現在に物を言へば
嘲る嘲る空と山とが

瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自らの静脈管の中へです

中原中也「春の日の夕暮」(青空文庫)

この詩はいったい何を表現しているのでしょう。

この詩を読んで、私が受けたイメージを書き記すことにいたします。

「塗板がセンベイ食べて
春の日の夕暮は静かです
」
風を受けてバタバタと音を立てるトタン屋根が脳裏に浮かびます。
そして、繰り返される「春の日の夕暮」。
穏やかに暮れてゆく一日の終わりでしょうか。

「たゞたゞ青色の月の光のノメランとするまゝに
従順なのは春の日の夕暮か
」
まだ暮れ切っていない夜空に光る月光。
それを「ノメラン」と不思議なオノマトペで表現しています。
なんだか無表情にいつの間にかそこに現れたかのような光景を感じました。

「瓦が一枚はぐれました
春の日の夕暮はこれから無言ながら
前進します
自らの静脈管の中へです
」
はぐれた瓦とはなんでしょう。中也自身のことかもしれません。
ただ、「春の日」「前進」などの単語からは、決してネガティブなイメージではなく前向きに何かをやりたいという意識を感じます。
そして、そんなポジティブな感情が自らの中に脈打つというのでしょうか。

太宰治と交流があった中原中也。
二人とも、幾多の挫折を味わっています。
けれでも、終始「死ぬことを」考えていた太宰に対して、中原中也は前向きに「生きること」を考えていたのが伺えます。

現在募集中の読書会イベント