モリエール「人間ぎらい」を読むと、昔も今も人は変わらないことが解るのです。
- 海外文学
掲載日: 2022年10月20日
「人間ぎらい」は、1666年に発表された戯曲。
当時のフランスの貴族の人間模様を描いた喜劇です。
知識人だけでなく、ごく普通の庶民でも読めるように、とても平易な文章で書かれています。
読みながら、ふと思いました。
1666年の発表ということは、今から遥か昔、400年近く前の作品。
悠久の彼方の昔の作品です。日本だと江戸時代の初めの頃です。
こんなにも昔の人々の人生を垣間見ることができるなんて、と感慨深いものがあります。
がしかし、あまり古さを感じないのが、これまた驚きです。
第一幕
世間知らずで、愚直なまでにまじめな青年貴族、アルセスト。
この物語の主人公です。
彼が、いかに人間ぎらいかが、セリフのやり取りで判ってきます。
そして、そこまで人間が嫌いなのはなぜなのか、とても面白い理屈が描かれています。
第二幕
青年貴族、アルセストが思いを寄せる未亡人セリメーヌ。
彼女のサロンに集う男たちは、知人の悪口に興じています。
アルセストの「人間ぎらい」の原因がここにあります(;^_^A
見かねたアルセストは、こんなことを言います。
「悪口の的になっている人が現れるや否や、
あなた方はあたふたとお世辞を言い始めるに違いない」と。
意外と的を得たことを言います。
が、しかし。
その後のやり取りはやはり、的外れな方向へ進んでいくのです。
これ、まさにコメディの面目躍如です。
第三幕
セリメーヌのサロンに、おせっかいな女友達のアルシノエが訪れます。
彼女もまた、キャラが立っています(;^_^A
よせばいいのに、
セリメーヌに、いかに彼女の悪評が皆の間でささやかれているかを忠告しにやって来たのです。
案の定、技量の狭いセリメーヌは、ブチ切れて、逆にアルシノエをこき下ろし始めるのです。
そんなドタバタの挙句、どういうわけかアルシノエと、アルセストが出会うことになります。
そのいきさつはぜひお読みください。
第四幕
この章は実にうまくできています。
全てを書かずに、察することができるようになっているのです。
アルシノエが、あれだけ心を奪われていたセリメーヌを、なぜか憎んでいます。
全く説明がないままです。
が、ハタと思いだしました。
第三幕の終わりで、おせっかいなアルセストが、
なにやら、おせっかいを焼いたのだと思えるように繋げています。
これぞ省略の美学。
モリエールの文才が光るところですねぇ。
第五幕
最終章です。
モリエールは、実にうまく人間の本質を描いています。
不埒な女であることが解っても、一途にセリメーヌを愛するアルセスト。
まじめだけが取り柄のようでいても、誠実なのです。
友人のフィランとやエリアントが慕われるのもうなずけます。
もっとも、悪女のセリメーヌへの想いは報われないようですが。
ただ、それも含めて、ハッピーエンドと思わせるような終わり方をします。
やはり、モリエールはただものではないのです。
読み終えて改めて思いました。
絵画は、何百年も前に、その技法は完成されていました。
それと同様に、戯曲も400年前からすでに完成されていたのですかねぇ。