夏目漱石「行人」は、重責に苦悩する漱石の心の声を描いたのではないだろうか。
- 日本文学
掲載日: 2024年03月11日
「行人」は、1912年(大正元年)12月6日から1913年11月5日まで、「朝日新聞」に連載された長編小説。
主人公は、独身青年の二郎。この作品は、語り部としての二郎の視点から描かれます。
二郎の兄、一郎は学者です。彼は妻との関係がぎくしゃくしている事に思い悩み、その解決の糸口を弟に二郎に託すのです。
二郎が見た、兄一郎の苦悩が全編を通して描かれていきます。
「行人」を解説します。
「行人」は、新聞に連載されていましたので、文庫本で言うと3ページほどのとても短いくくりで、読み切れるように構成されています。
あたかも小津安二郎の映画で観ているかのように、淡々とお話が進むのですが、語られるエピソードが面白く、とても読み易いです。
それに、次の話が読みたくなるような工夫が随所に施されています。
例えば、終わりの方に、『自分はかねてからさほど重きを置いていなかった岡田のいわゆる「例の一件」をとうとう持ち出した。』
と書かれていると、どうしても「例の一件」とやらが次の話で語られそうで、次が読みたくなるようになっているのです。
「行人」は、大きな括りとして「友達」「兄」「帰ってから」「塵労」の4章で構成されています。
それでは順番に解説していきましょう
「友達」
この作品の語り部である独身青年の二郎が大阪にやってくるところから、この物語は始まります。
そして、知人の岡田夫妻の家を訪問します。
そこには二つの目的があります。
一つは、母から頼まれている「ある用件」のため。
もう一つは、友だちの三沢からの連絡が、岡田の家に来ることになっているからです。
三沢と高野登りに行く予定なのですが、携帯などない当時としては連絡の取りようがない。そこで、岡田夫妻の家を連絡先としているのです。
この章では、本筋とは無関係に思えるいろんなエピソードを積み重ねることによって、この物語の登場人物の人間関係を描き出していきます。
これは、漱石の小説技法の特色の一つです。
つまり生活描写を幾重にも重ねることで登場人物のキャラクターを読者に染み込ませていくのです。
岡田氏本人は、二郎に実家の書生をしていた人物で、細君のお兼さんは、実家へ仕立物などを持て出入りしていた娘さんです。
そのことから、二郎の実家は身分のある家だということが解ってきます。
やっとのことで友達の三沢と連絡が取れますが、彼は入院しているとのこと。
ここから先は、病院内での出来事に終始します。
入院先の病院で出会った一人に女性を巡って、三沢の過去が語られていくのです。
「兄」
この章から、本筋のお話が始まります。
大阪に、母親と兄夫婦が観光にやってきて、二郎と合流。
そこで、兄の一郎から、のっぴきならない相談事を持ち込まれます。
一郎は、妻の「直」が二郎に気があるのではないかと疑っているというのです。
一郎は提案します。妻の潔癖を証明するために、二人で和歌山へ一泊の旅行に行ってくれないかと。
ここからは、読んでいてとても居心地の悪いエピソードが続きます(;^_^A
学問一筋で自分に厳しく、また他人にも厳しいが故に悩みの種が尽きない一郎。
彼が不器用に苦悶する様が描かれていきます。
「帰ってから」
この章タイトルは、如何にも漱石らしいタイトルです(;^_^A
登場人物全員が東京の家に「帰ってから」のお話が始まります。
ここでは、初めて「父」が登場します。
「父」の生活描写によって、厳格だけれどもとてもユーモアがあって、バランス感覚の取れた人物だということが解ります。
さらには、「兄」一郎の人物像が深堀されていきます。
どうやら、一郎の過剰なまでの神経質な生き方は自ら蒔いた種の様です。
一郎の姿が漱石自身に重なって見えてきます。
「塵労」
いよいよ最後の章です。
章タイトル「塵労」の意味するところは、心身を煩わす様々な妄念、煩悩。
兄、一郎の友人Hが登場します。Hは、二郎の頼みで一郎を旅行へと連れ出します。
少しでも心が晴れるのでは、という想いからです。まるで、救世主のような存在です。
やがて、旅先のHから二郎宛てに分厚い手紙が届きます。
それは、二郎や家族一同にどうしても伝えなければならないと思って書き記したもの。
その手紙には、妄念に苦悩する一郎がどうありたいか、彼の本心などが認められています。切々とつづられる内容は、漱石の想いに他なりません。
一郎と同じように、胃潰瘍になるまで妄念に苦悩する漱石の心の声なのではないでしょうか。
「行人」の凄いとこ。
明治の終わりから、この作品が書かれた大正初期では、文学の主流は「自然主義文学」です。
作者の人生を包み隠すことなく赤裸々に描き出すことを良しとされていた時代です。
そんな中にあって漱石は、自由に創作を交え物語っていきます。
架空の物語ではありますが、とてもリアリティがあります。
それには理由があるのです。
この物語で描かれているエピソードの多くは、実際に漱石が体験したことです。
実体験を横糸にし、創作を縦糸にし紡いだ物語ゆえのリアリティなのです。
そして、「物語の最後に手紙によって真実が語られる」というこの形式は、次回作「こころ」でさらに進化するのです。