難解な川端康成『抒情歌』|読み解くヒントは童謡「赤とんぼ」にあります。
- 日本文学
掲載日: 2026年10月13日
誰もが一度は耳にしたことがある童謡『赤とんぼ』。
こんな歌詞です。
夕焼、小焼の、
あかとんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。山の畑の、
桑の実を、
小籠(こかご)に、つんだは、
まぼろしか。十五で、姐(ねえ)やは、
嫁にゆき、
お里の、たよりも、
絶えはてた。夕やけ、小やけの、
赤とんぼ。
とまっているよ、
竿の先。
この歌を聴いた後にはどんな気持ちになりますか?
懐かしさとともに、どこか寂しく、切ない気持ちになりませんか?
この歌で描かれているのは、今この瞬間の出来事ではありません。
幼い頃の思い出や、遠い過去にあった人との別れです。
過ぎ去った時間は、もう取り戻すことができません。
だからこそ、懐かしい思い出は、ときに寂しさや切なさを伴うのでしょう。
これが、いわゆる抒情歌です。
心の動きや感情を表現することを「抒情」といいます。
そして、この「抒情」という言葉こそ、川端康成の『抒情歌』を味わい、読み解くうえでの糸口になります。

『抒情歌』は、こんな小説です。
『抒情歌』は、1932年(昭和7年)に文芸雑誌『中央公論』2月号に掲載された短編小説です。
『中央公論』は、政治・社会問題から文学まで幅広い分野を扱ってきた総合雑誌です。
雑誌名が示すように、近代文学の主流を担う作家たちの作品が掲載されてきました。いわば、文壇の中心的な舞台です。

ちなみに、前年の1931年に発表された『水晶幻想』は、文芸雑誌『改造』に掲載された作品。
『改造』は、雑誌名が示すように社会や思想の新しい動向を紹介する雑誌。
それゆえ、『水晶幻想』は、小説の表現形式そのものに挑戦した実験的な小説技法が駆使された作品なのです。
詳しくは、以下の記事をご参考になさってください。
👉難解極まりない川端康成『水晶幻想』|読み解くヒントを解説します。
そもそも『抒情歌』とは何?
「抒情歌」とは、そもそも何なのでしょうか?
「抒情」とは、自分の心に湧き上がる感情を表現すること。
日本の誰もがよく知る抒情歌の例を挙げると、その性質が判るのではないでしょうか。
日本を代表する抒情歌
〇『荒城の月』(作詞:土井晩翠/作曲:滝廉太郎)
〇『故郷』(作詞:高野辰之/作曲:岡野貞一)
〇『赤とんぼ』(作詞:三木露風/作曲:山田耕筰)
〇『椰子の実』(作詞:島崎藤村/作曲:大中寅二)
〇『この道』(作詞:北原白秋/作曲:山田耕筰)
〇『夏の思い出』(作詞:江間章子/作曲:中田喜直)
〇『ちいさい秋みつけた』(作詞:サトウハチロー/作曲:中田喜直)
これらの歌に共通しているのは、今この瞬間に起こっている出来事ではなく、過去の思い出や出来事を歌っていること。
懐かしい故郷を思う気持ち、愛する人への思い、過ぎ去った日々への寂しさ。
こうした、普段はなかなか言葉にできない心の動きを、詩や歌に託して表現したものが抒情詩や抒情歌です。
先ほど紹介した童謡『赤とんぼ』も、その一例といえるでしょう。
例えば『荒城の月』。
荒れ果てた城跡に月が照らす風景を通して、かつて栄えた時代への思いや、過ぎ去った年月への感慨を歌っています。
目の前にあるのは月と荒れた城跡ですが、そこから浮かび上がるのは、失われた栄華や、二度と戻らない時間への寂しさです。

例えば『故郷』。
故郷の山や川、そこで過ごした幼い日々を懐かしむ歌です。
遠く離れて暮らしていても、故郷の風景や人々は心のなかに残っています。いつか帰りたいという思いや、故郷を懐かしむ気持ちが、素朴な言葉で表現されています。

では、川端康成の小説『抒情歌』は、何を表現しようとした作品なのでしょうか?
『抒情歌』のあらすじ
『抒情歌』は、亡くなった恋人に向かって、主人公の女性が語りかける独白形式の小説です。
主人公の「私」は、幼い頃から不思議な予知能力を持っていました。
海に溺れる運命だった弟の命を救ったり、初めて訪れた恋人の書斎の様子を言い当てたりする、不思議な力を持っていたのです。
「私」は愛した恋人とは結ばれず、恋人は別の女性と結婚してしまいます。
やがて恋人は亡くなります。
愛する人を失った「私」は、亡くなった恋人に向かって語りかけます。
そして、仏教の輪廻転生という考え方に思いを巡らせます。
亡くなった人が人間の姿のまま死後の世界にいると考えるよりも、花や蝶など、自然の生命に生まれ変わると考える方が美しいのではないか。
「私」は、花に生まれ変わった恋人を想い、生命のあり方について思索を深めていくのです。

『抒情歌』を解説します。
まずは、冒頭の文章を引用します。
死人にもの言いかけるとは、何という悲しい人間の習わしでありましょう。
けれども人間は死後の世界にまで生前の世界の人間の姿で生きていなければならないということは、もっと悲しい人間の習わしと私には思われてなりません。
川端康成『抒情歌』講談社文芸文庫
『抒情歌』は、主人公の女性「私」が、亡くなった恋人に向かって語りかけるところから始まります。
普通の恋愛小説であれば、恋人との出会いや別れ、二人の間に起きた出来事を中心に物語が展開していくでしょう。
しかし、『抒情歌』は少し違います。
恋人はすでに亡くなっており、二人が再び会うことはできません。
それでも「私」は、亡くなった恋人に語りかけ続けます。
あの世でもやはりこのあなたの姿をしていらっしゃるあなたに向かってよりも、私の目の前の早咲きの蕾を持つ紅梅に、あなたが生まれ変わっていらっしゃるというおとぎ話をこしらえ、その床の間の紅梅に向かっての方が、どんなにうれしいか知りません。
川端康成『抒情歌』講談社文芸文庫
人間の姿をした恋人をあの世に思い描けば、死によって二人が隔てられていることを、改めて意識させられるかもしれません。
一方、目の前の紅梅に恋人が生まれ変わったと考えれば、恋人は遠いあの世にいるのではなく、自分のすぐそばに存在していると感じられます。
紅梅の花を眺めることが、そのまま恋人を感じることにつながるのです。
亡くなってもなお、愛し続けている恋人との関係が、次に描かれます。
残酷な現実が明らかになります。
あなたが私を振り棄て、私に黙って結婚なされ、新婚旅行の初めての夜のホテルの白い寝床に、花嫁の香水をお撒きになった。
川端康成『抒情歌』講談社文芸文庫
愛する男は、べつの女性と結婚してしまったのです。
この事情を踏まえると、なぜ「人間の姿」より「紅梅」を望むのか、が判るような気がします。
さらに「わたし」は、本などで知った魂・前世・生まれ変わりについての思索へと話を広げていきます。
美しい少年のAdonisは彼の死を悲しむ恋人ビーナスを慰めるために福寿草の姿に生き返り、美しい若者のヒヤシンスの死を嘆くアポロは愛人の姿をヒヤシンスの花に変えてやったのでありました。
川端康成『抒情歌』講談社文芸文庫
「私」は、ギリシャ神話に由来するアネモネの花の物語にも心を動かされます。そして、憐れな女の姿で存在するより、アネモネの花になりたいと考えます。
人間の姿のまま死後も生き続けると考えれば、恋人は自分を捨てた男のままです。
しかし、恋人が花に生まれ変わったと想像すれば、別の女性の夫だったという現実から離れて、愛する人を新しい姿で思い描くことができます。
そして、その想像はやがて、恋人だけでなく、自然界のあらゆる生命を愛するという考えへ広がっていきます。
つまり、これらのエピソードを通して、「私」は失恋の苦しみを抱えながら、死者と生者の関係、そして生命のあり方について思索を深めていくのです。
そして、「わたし」は二人が出会った頃の思い出を語っていきます。
楽しかったころのことが描かれることで、失われた幸福が鮮明になり、悲しみが一層深まるのです。
まさに、これこそが『抒情歌』なのです。



