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坂口安吾『姦淫に寄す』には、男女ともにある内なる心の叫びが描かれている。

坂口安吾『姦淫に寄す』には、男女ともにある内なる心の叫びが描かれている。

掲載日: 2025年09月10日

好きな異性と出会い、付き合うようになる。まだ手も握ったこともない間柄。相手の肉体に手を触れてみたい・・・。

そんな欲望が芽生えた時、あなたはどんな気持ちになるでしょう。
いろんな妄想が渦巻き、表面上は、何気ない素振りをしていても、その素振りとは裏腹に、心の中では欲望が渦巻いている、なんてこと経験はないでしょうか(;^_^A

そんな人間の深層心理を踏まえて、この小説を読んでみると、この小説の言わんとすることがわかるかもしれません。

『姦淫に寄す』は、こんな小説です。

『姦淫に寄す』は、昭和9年(1934年)28歳に、雑誌『行動』に発表された短編小説。
主人公は、村山玄二郎という名の大学生。彼が通う教会の聖書講義会で出会った女性との交流を描いています。
そして、その交流を通して、人間の内面に潜む「実態」が描かれています。

『姦淫に寄す』を読み解いていきましょう。

主人公は、九段坂下の裏通りにある汚い下宿屋に住む大学生、村山玄二郎。
冒頭では、彼がどんな男かを描き出します。

彼は、隣人の顔さへ見知らずに暮してゐたといふ図抜けた非社交性と強度の近視眼をもつた一人の大学生。
そして、その隣人が自殺したというのに見世物ほどの好奇心さへ起すことなく寝ころんでゐた。

それだけではなく、あの部屋も借手がつかないだらうと宿の者がこぼすのをきいて、大学生はお伽話に合槌を打つやうな静かな声で、そんなら俺が移らうかなと呟いた。この男はほんとにノコノコ隣室へ移つてしまつた。

彼は、金払ひの几帳面な男であり、月末がくると催促もしないうちに定まつた下宿料を届けてよこした。

そんな彼の日常は、

部屋なども常に清潔で整然としてゐた。ただ彼はめつたに外出することがなかつた。稀に机に向つてゐることもあつたが、大概は整然と寝床をしいて矢張り整然と昼寝をむさぼつてゐたといふのである。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

ところが、

此の男が毎週の水曜日のきまつた夕刻になるとブラリと出掛けて必ず夜更けまで帰らないことに気付くと、あんな男でもやつぱりさうかと人々は考へてニヤリとした。つまり彼奴でも女があるのかといふ意味であらう。けれども人々の想像は的を外れてゐたと言はなければならない。この大学生は教会の聖書講義会といふものへ通つてゐたのである。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

その会で、彼はひとりの女性と出会います。

氷川澄江は聖書研究会の一会員であつた。彼女が此の大学生に興味を惹かれた理由ははつきりしてゐない。併し彼女が五十名近い会員の中から彼のみに挨拶し話しかけるやうになつたのは、たしかに何らかの興味ある性格を此の男の中に嗅ぎ出したからに相違ない。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

ここから、氷川澄江の人となりの片鱗が描かれます。

話してみれば見かけによらず物分りもよく、寛大で、寧ろ他人の好意に感動し易いと思はれるほど盲信的で、おまけに絶えず温い心を秘かに他人へ燃しつづけてゐたりする。そして孤独を激しく憎悪してゐるが、憎み疲れて孤独に溺れ孤独に縋りついてゐる。もう四十に手のとどく澄江は、熟練した女の感覚で玄二郎の孤独な外貌から内に蔵かくされた寧ろ多感な心情を見抜いたことは想像することができる。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

澄江は馴れ/\しすぎるほどの微笑を泛べて、すでに長年心おきなく交際してゐる友達へ話しかけるのと全く同じに玄二郎へ挨拶した。その心をきない微笑、打ちとけた物腰、一片の危懼もない瞳(中略)それは恰も彼女自身すら彼と長年の交遊を思ひ信じてゐるのではないかと疑はれるばかりであつた。こういふ女の心は全く男には解きがたい謎である。彼女は自分の打ちとけた様子によつて一時に心をひらくであらう男の心理を計算しつくしてゐたものだらうか。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

この微笑は若い女には出来ないものであらうが、また頭の悪い女にも出来ないことに相違ない。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

澄江の容姿はと言うと・・・、

彼女は五十名の一団の中で最も宗教に無関係に見えたばかりでなく、恐らく劇場の中に於ても彼女以上に宗教に無関係に見える人は稀であつたに違ひない。彼女の服装は美麗であつた。併しその趣味は洗煉されてゐた。そして四十に近い年齢であつたが美貌であつたし知識的な顔立だつたので一層若々しく感じられた。殊に眼が輝いてゐた。その瞳にたたえられた複雑な翳は時に少女の澄みきつた好奇心を思はしめ時に熟練した多情な女の好奇心を思はせた。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

かくして、始めて挨拶を交した日に、二人は已に夜更けるまでとある静かな喫茶室で閑談してゐたのです。
その後二人は、

水曜毎に彼等は必ず夜晩くまで語りあつた。凡そくだらない会話であつたに相違ない。恐らくトンチンカンでさへあつたであらう。けれども、二人はあきもせずに時々約束して芝居を見、映画を見た。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

そんなある日、澄江にまねかれて、玄二郎は彼女の大磯の別荘へ行きます。
訪れた当日は、あいにくの嵐。
彼女は言います。

「お天気だと海の景色がきれいなんですけど。……四五日ゆつくり泊つてらしてね」
彼女は暫くそれだけを繰返して言つた。繰返すたびに、前にも已に同じ言葉を述べてゐることを忘れきつてゐるやうに見えた。そして言葉を言ひ終つたあとには、今の今まで喋つてゐた自分にさへ気付いてゐないやうな、激しい放心と疲労を表はしてゐた。それを彼女は無意識に微笑で隠してゐるのであつたが、そのために強められた明るさが益々病的なすきとほる青さに感じられた。全てそれらは、漠とした無形の苦痛に激しく抗争するもののやうな切なさを表はしてゐた。

『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

漠とした無形の苦痛に激しく抗争するもののやうな切なさを表はしてゐた」とあるように、彼女は、何か抗えないものに苦悶しています。
その様子はいっそう激しさを増します。

彼女の顔に表はされた疲労はもはや一様のものではなかつた。眼は落ちくぼんでゐたし、狂燥を帯びた挙動には同時にのつぴきならぬ放心をともなつてゐた。
「外へでてみませうか? 私顔がほてつてしまつて……」

『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

そして、

その顔にはもはや苦痛を隠すこともできないやうな切なさが表れてゐた。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

一体彼女は、どんな心情になっているのか。
それは、タイトルの『姦淫に寄す』がカギになっているようです。

玄二郎と一夜を共にしたい。が、それを自分からは言い出せない。吹き荒れる嵐が、澄江の心の欲情を代弁しているかのようです。

そんな澄江の様子を見て、玄二郎は何を感じたか。

もはや雨はやんでゐた。残された風のみが荒れ狂ひ、広く大きな松籟しょうらいとなつて彼の心になりひびいてゐた。自然の心を心にきいた切ない一夜であつたのである。
『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

玄二郎には、澄江の本心が手に取るように感じられているのです。

翌日になり、早々に

玄二郎は静かな柔やさしさに包まれながら、何のこだわりもなく微笑を泛べて言つた。
「僕は今日、はやばやと帰らなければならないのです。どうにも仕方のない用があるものですから」

『姦淫に寄す』坂口安吾(青空文庫より)

引き留める澄江。そこに玄二郎は安堵の表情を見出します。
その後、二人はどうなってゆくのでしょう。
ぜひ原作を読んで、その後の運命をたどってみてください。

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