
ヴァージニア・ウルフの「灯台へ」は、アナタが持つ「小説」の概念を捨てて読む必要があります。
- 海外文学
掲載日: 2025年04月25日
人間というものは、次から次へと雑念が湧き起こってくる生き物です。
あなたが、雑念なしでいられるのは10秒足らずです。
そんなバカな、と思ったアナタ。試しに自分の人差し指を見つめて、人差し指のことだけを考えてみてください。
指の形であるとか、色合いとか、爪が伸びているかとか。

どうです?10秒持ちました?
いつのまにか、全然別なことを考えていませんでしたか?
という具合に、人間は雑念の生き物。
次から次へと脈略なしにいろんなことが頭をよぎるのです。
この小説を読むときは、以上のことを踏まえた上で読み始める必要があります。
普通の小説を読むつもりで「灯台へ」を読み始めると、きっとあなたは挫折してしまうでしょう(;^_^A
それぐらい、この小説は異質な作品です。
ヴァージニア・ウルフの「灯台へ」が、どんな類の小説なのかを見ていきましょう・・・。
「灯台へ」は、こんな小説です。
ヴァージニア・ウルフの「灯台へ」は、1927年(昭和2年)に出版された長編小説。
ヴァージニア・ウルフの代表作です。
そして第一次世界大戦後に起こった芸術の潮流、モダニズム文学の代表的な作品です。
「灯台へ」に、ストーリーはあってないようなものです。
登場人物の雑念が、次々に沸き起こっていく様子が淡々と描かれていきます。
それゆえ、普通の小説を期待して読み始めると、何じゃこれ?となってしまいます。
見事な挫折ポイントです。
「灯台へ」のあらすじ。
「灯台へ」は、3部構成になっています。
第一部「窓」。
舞台は、スコットランドの北西部にあるブリディーズ諸島にある別荘。
別荘の主のラムジー夫人が、子供たちと灯台へ行く計画を立てています。
そして、夫人を取り巻く人々が次々に登場し、それぞれの想いが描かれていきます。
やがて、全員が揃う夕餉が開かれ、人々の想いが交差していきます。
第二部「時はゆく」。
第一部の10年後。成長した子供たちの様子が描かれます。
第三部「灯台へ」。
子供の頃いけなかった灯台へ、ついに出かけて行く様子が描かれます。

「灯台へ」を解説します。
「灯台へ」は、モダニズム文学の代表的な作品です。
モダニズム文学は、戦争での非道な有様に反感した人々から沸き起こった芸術運動です。
これまで大人たちが唱えてきたモラルっていったい何だったんだ?と反感を感じたわけです。
それゆえ、これまでの芸術の表現方法をすべて否定します。
絵画の世界では、これまでは描く対象をそのまま描く、写実的な描き方が主流でしたが、それを否定します。
目に見えているものを描くのではなく、無意識の世界にこそリアルがあるということで「シュールリアリズム」が生まれます。
バージニア・ウルフも、これまでの小説の描き方を否定します。
それゆえ、「灯台へ」は、従来の小説とはまるで違う手法で書かれています。
どんなふうに書かれているかを、具体的に見ていきましょう。
第一部「窓」
この物語はこんな文章で始まります。
「そう、もちろんよ、もし明日がはれだったらばね」とラムジー夫人は言って、付け足した。「でも、ヒバリさんと同じくらい早起きしなきゃだめよ」
「灯台へ」(岩波文庫より)
主人公であるラムジー夫人が、6歳の息子ジェイムスに語り掛けています。
この後に書かれるのは、ラムジー夫人が思っていること。
息子にとっては、これだけの言葉でも途方もない喜びになったこと。
息子は夫のラムジーに似て、感受性が強いこと。
更には、成長した息子の容姿にまで思いが及びます。
そこへ、夫であるラムジー氏が通りかかります。
「でも、晴れにはならんだろう」
「灯台へ」(岩波文庫より)
ここからラムジー氏の思っていることが書かれていきます。
わしは、誰かを喜ばせるために嘘は付けない。
自分の子供ならなおさらだ。人生の厳しさを知っておくべきなのだ。
などなどなど。
「でも、晴れにはならんだろう」と言った背景にある思考が描かれていくのです。
こんな具合に、人間が想起する雑念が延々と描かれていきます。しかも脈略無く。
これは、よく考えるととてもリアルです。
実際の人間がそうですから。
このように、淡々と人々の思考が描かれるだけで、なんのドラマも出てきませんので、この第一部を読むのは、かなり骨が折れるのです。
でも、ここをじっくり読むことこそ、重要です。
字面だけを読み飛ばしてはいけません。
登場人物の想いを、しっかりイメージして読み込んでいきましょう。
そうすることで、登場人物の人となりや関係性があなたの中に染み込んでいきます。
第二部に進む前の通過儀礼のようなものなのでしょう。
それでは、第一部を読み終えたら、実際に第二部を読んでみて、皆さんで確かめてくださいね。