三島由紀夫「金閣寺」は、穢れから「美」を守ろうとする男の複雑に歪んだ心情を描く作品です。
- 日本文学
掲載日: 2020年08月19日
「金閣寺」は、1956年(昭和31年)に文芸雑誌「新潮」1月号から10月号に連載された長編小説。
1950年に、実際に起きた「金閣寺放火事件」がその題材です。
主人公は、金閣寺の修行僧である溝口。
彼は「金閣寺」を、美の象徴、畏怖するものとしてとらえています。
崇拝してやまない「金閣寺」を、彼は放火するのです。
では、なぜ、彼が放火してしまうのか。
全330ページのほぼすべてを使って、溝口の心の動きを描き出していきます。
人の行動というものは、単純ではありません。
ボクは、昨日、かみさんとケンカしましたが、ケンカに至るには、さまざまな原因が積み重なっっています。
チョットは片付けてほしいなぁとの思いが、燻り続けてきたこと。
かみさんが、その日、またしても片付けなかったこと。
そして、その日やたら暑かったこと。
そういったことが、複雑に絡み合って大ゲンカが勃発するわけです(;^_^A
ちょっとしたケンカだけでも、さまざまな要因が複合的に積み重なった結果のことです。ましてや、畏怖すべき対象である「金閣寺」を放火する・・・。
そこに至るまでの、気の遠くなるようなエピソードの積み重ねで読み手が唸ってしまうほどの納得感を描き出しています。
まさに、三島由紀夫が天才といわれる所以です。
では、全10章からなる「金閣寺」を読み込んでいきましょう。
第一章
この章では、主人公の溝口の少年時代のことが描かれます。
舞鶴近郊の辺鄙な岬の寺の跡取り息子である溝口。
幼い頃から、父親に金閣寺のことを聞かされて育ちます。
父によれば、金閣ほど美しいものは地上になく、また金閣というその字面、その音韻から、私の心が描き出した金閣は、途方もないものであった。
三島由紀夫「金閣寺」(新潮文庫)
実物を見たことのない溝口の頭の中で金閣寺の美しさが増大していきます。
それは、実物をも凌駕してしまうほどに心を捉えてゆきます。
さらに、溝口は体が弱く生来の吃音があります。
吃音のために、会話に入っていけない様子をこんな文章で描かれています。
彼は内界の濃密な黐(もち)から身を引き離そうとしている小鳥にも似ている。やっと実を引き離したときには、もう遅い。(中略)
三島由紀夫「金閣寺」(新潮文庫)
待っていてくれる現実はもう新鮮ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、鮮度の落ちた現実が横たわっているばかりであった。
引っ込み思案になっていく気持ちがよくわかる表現です。
そんな折、中学の先輩で、舞鶴海軍機関学校の生徒が学校にやってきます。
溝口が将来住職になることが解るとこんなことを口にします。
「あと何年かで、俺も貴様の厄介になるわけだな」
三島由紀夫「金閣寺」(新潮文庫)
この言葉を聞いた溝口にある自覚が生じます。
やがては、五月の花も、制服も、意地悪な級友たちも、私の広げている手の中へ入ってくること。
三島由紀夫「金閣寺」(新潮文庫)
自分が世界を、底辺で引き絞って、つかまえているという自覚を持つこと。
溝口の頭の中の思惑がどんどん歪んでいく様子が、実に見事に描かれていきます。