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なぜ、文学作品を読まなければいけないのか、この問いを、本日やっと言語化できました。
掲載日:2024年12月15日
読書会に長年参加していると、よく話題になることがあります。
それは、「小説を読むと何の役に立つのですか?」という問い。
ボクは、この問いにきちんと答えることができませんでした。
ずっと、モヤモヤしていたのです。
小説を読むなんて回りくどいことしなくても、自己啓発書やビジネス書を読んだ方が手っ取り早いのではという問いに、反論できていなかったのです。
そんなある日、新聞の記事を読んでいてストンと腑に落ちました。
記事曰く、
「自己啓発書やビジネス書などのハウツー本は、いわば道具にすぎない」と。
たしかにそうです。道具を使う人間が成長しないと意味がないのです。
例えば、倫理観の身についてない未熟な人間が、勉強して高度な技術を身に着けたとします。
その人が持てる技術を使って、いったい何を作り出すのでしょう。
危ない物を作らないとも限りません。
では、人間が成長するには、何が必要か。
それは、経験しかありません。
仕事で辛い目にあったり、失恋で涙したり、家族のだんらんを味わったり。
楽しいことだけじゃなく、辛いこと、悲しいこと、惨めなこと、大失敗すること、などいろんな経験することによってのみ人は成長します。
逆境から立ち直るときにこそ、人間は成長できます。
でも、そう何度も失恋を体験できるとは限りませんし、なんども人生を失敗していたら身が持ちません。
さらに言うと、命のやり取りをするような経験はめったにできるものではありません。
そんなめったにできないことを疑似体験できるのが文学作品。
これこそが、人間の成長の一助になる所以なのです。
ただし、あくまでも「一助」にすぎません。
実際の体験に勝るものはありませんので、お間違え無きよう。
「書を捨てよ、町へ出よう」と言うではないですか。